郎を討たずにおれなかった。それで手強く幕府へ懸合っで老中共も持余《もてあま》している時、毒殺だと噂された位急に死んでしまったのである。死際《しにぎわ》に、
「旗本の面々と確執を結び、不覚の名を穢《けが》し、今に落着|相極《あいきわま》らず死せん事こそ口惜しけれ、依て残す一言あり、我れ果《はて》ても仏事追善の営み無用たるべし、川合又五郎が首を手向《たむ》けよ、左なきに於ては冥途黄泉の下に於ても鬱憤止む事無く」
と遺言した位だったから、数馬の決心も固くならなくてはならぬし弟の敵であると共に主君の命によって討つ所謂《いわゆる》「上意討」も含まれてきたのである。
寛永九年三月、
「川合又五郎と申す者は一夜の宿を貸し候とも二夜と留置き候者は屹度《きっと》曲事《くせごと》に行わるべき者也」
という御触れが出て又五郎は江戸に居られなくなった。これは一方の池田公が暴死したから、旗本を押える為めの御触れである。こうなれば四郎右衛門も匿まっておけない。江戸を出るとすれば池田家の誰が討たんにも限らぬし、郡山《こおりやま》名代の剣客、数馬の姉|聟《むこ》である荒木又右衛門が助太刀に出ているというから又五
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