あけると、のそのそと尻から先へ押入っていった。いかさま不思議な入り方である。太兵衛が曲者を捕えて人々に引渡した時に、
「尻から入るは、どうした訳で御座りますか」
 と聞くと、
「あいつめ異な事をする奴だわいと、呆んやり見ていたからすぐ捕える事ができたのだ、それに尻なら少々斬られたって大事が無いからな」
 と答えた。この尻の逸話《はなし》から推すと、又右衛門の腰も、
「棒なら大事ないからなあ」
 と芥川説がちゃんと理由づけられる事になる。然し尻でも腰でも切られぬに越した事は無い。ただ尻から入る機智、尻なら少々斬られてもいいという覚悟は、武術の奥儀を腹に包んでいる人にして始めて出る考えであり、出来る覚悟である。そして都甲太兵衛は対手《あいて》を知っていたからである。もし次のそう云う場合にも彼は矢張り尻から入るかと云ったら、恐らく愚問だと笑うだろう。時には壁を全部こわしもするだろうし、時には黙って通りすぎるかも知れない。機により変に応じて、それぞれに処して行くのが剣の極意である。伊東一刀斎の「間《かん》」と説明しているのも此処である。事に面してどう処して行くか。一瞬の「間」に当って腹ができて
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