えていたにちがいない。酒を傾けながら孫右衛門は時々店先へ出て、又五郎らの来るのを見る。長田川の橋からは一本道で橋上にかかれば茶店からは一眼である。敵がそこへ現れたという合図は孫右衛門が小唄を唄う事にしてある。
「いい心持になった、亭主、この羽織をお前にくれてやろう」
「旦那様、めっそうもない……」
「ま、取っておけ、少し長いぞ」
 と云ったが又右衛門の身丈《みのたけ》六尺二寸と云うのだからぞろりと着れば踵まであったかも知れない。
「亭主、わしのもくれようか」
 と云って数馬も羽織をぬいだ。これは池田家第一の美男子と称された源太夫の兄である。遺伝学から云うと兄より弟の方がいい男が多いそうだが、その代り兄は甚六で多少ゆったりしているから矢張り数馬もいい男であったにちがいない。緋羽二重《ひはぶたえ》の下着に黒羽二重の紋付という扮装《いでたち》など、如何にも色男らしいこしらえである。
 寛永時代の小唄だから頗《すこぶ》る悠長な、間のびのした半謡曲染みたものであろう。酒も大してのまないのに、孫右衛門店先でゆらゆら唄出した。
 襷《たすき》に、鉢巻、足許を調べて、
「亭主、勘定」
 武右衛門と孫右
前へ 次へ
全26ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
直木 三十五 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング