ありませんでしたの。ところが、それから二三秒もたたないうちに、恋敵のスミスからよこした最初の手紙を私は受取ったんですの」
「してみると君は化け物のようなものにしゃべらせたり、キュキュ云わせたりした事があるのかな?」アンガスが面白半分に訊ねた。
 ローラは突然|身慄《みぶる》いをした、が声だけは慄えずに言った、「そうですのよ、ちょうど私がスミスから成功の事を知らせて来た二度目の手紙を読了《よみおわ》ったちょうどその時に、『お前をあやつにやるものか』というウェルキンの声を聞いたんですの。それが、まるでウェルキンがこの空にでもいるようにハッキリしてましたから、ほんとに怖くって、――私はもう気が狂ってるにちがいないと思うくらいでしたわ」
「もしあなたがそんなに気がつくくらいなら、何より気が狂っていない証拠だ。だが、その幽霊紳士は僕には確かに変梃《へんてこ》に思われるな。しかし二つの頭は一つにまさるわけだから――僕はあなたに力を借そう、どうだね、もしあなたが僕に、僕を片意地な実行家としてだ、あの婚礼菓子をもう一度、窓から持って来る事を許してくれるならだ……」
 という彼の言葉が終るか終らないうちに、外の街路に当って、鋼鉄をさくような鋭い音がきこえて、一台の小型の自動車が悪魔のような速力で疾走して来て、店の入口前にピタリとまった。とその瞬間、絹帽をかぶった一人の小男がもう店の売場の方に靴を踏ならしながら立っていた。
 それまでは、快活に、呑気に構えこんでいたアンガスも緊張を見せて、ガバとばかりに奥の室《へや》を飛出して、この新参者に面と向った。この大変に気のきいた、しかし侏儒のような、そして光った黒い髯を横柄に前の方へ突出し、悧巧そうな落付のない眼を輝かせて、華奢な、神経質的な指先をもったその男こそは、今問題になった、スミスなのだ。バナナの皮や燐寸《マッチ》箱で人形をこしらえるというアインドール・スミス、金属製の酒を飲まぬ給仕やいちゃつかない女中で巨万の富を得たというアインドール・スミスその人だ。二人の男はしばらくの間、互いに本能的に相手の気配に独占《ひとりうらない》の心を読み合いながら立ちつくしていた。
 しかし、スミスは、恋敵関係の終局原理には触れずに、手短に爆発するようにこういった。
「ローラさんは飾窓にあるあの品を見たでしょうか?」
「飾窓にある?」アンガスは眼をまるくして鸚鵡返しに云った。
「今は他の事等を説明している時ではない」小男の金持が手短かにいった、「どこかで何か詮議を要するような馬鹿気た事が起っていると見える」
 彼は、手に持つ磨きのかかったステッキで、今しがたアンガスが婚礼の準備だといって総仕舞にした例の飾窓を指し示した。アンガスはその外硝子に細長い紙片がはりつけてあるのを見て驚いた、ちょっと前に覗いた時には確かにそんなものはなかった。精力家のスミスについて街路の方へまわってみると、外硝子におよそ四尺ほどの長さに、印紙が叮嚀に貼付けてあった。そしてそれには蔓草のような文で「もしお前がスミスと結婚するなら、スミスを殺す」と書いてあった。
「ローラさん」とアンガスは偉大な赤い頭を店の中へ突込んでいった、「あなたは気が狂っていない」
「これはあのウェルキンの奴の筆跡です」スミスは荒々しくいった、「私はもう何年もあの男には逢わないが、いつも私の邪魔ばかりしている。最近の二週間にもあやつは五|度《たび》も私の部屋へ脅迫状を投げ込んだのだが、私はどんな奴が投げ込んだのだか、全く解らんので、もしウェルキン自身の仕業だとするとこのままに棄ておく事は出来んのです。門番に聞いてみると、迂散《うさん》な奴等は見なかったと主張するし、ここではまた店の中に客がおるのに飾窓に奇妙なものを張りつけて行くし――」
「全くそうだ」とアンガスはおとなしく言った、「店で客がお茶を飲んでいたのに。それはそうと僕は事に当ってテキパキと片づけるあなたの常識を賞賛しますな。僕等は後で何かと相談し合ってもよろしい。そしてそやつはまだそう遠くへは行くまいと思う、なぜなら僕が最後に、十分か一五分くらい前に、[#「、」は底本では「。」]飾窓の所に行ったときには、たしかに紙片《かみきれ》は貼ってなかったのだからね。しかしまた、僕等はその言った方向さえわからんのだから、後を追いかける事も出来ない。それで、どうでしょうスミスさん僕の忠告を入れて、この事件を誰れか官辺のものよりは民間の、強力な探偵家の手に委ねてはどうでしょう。実は僕はあなたのあの自動車で行けば一五分くらいで行ける所に私立探偵を開いている非常に聡明な人を知っているのですが。それはフランボーと云うのですが、若い時には、ちょっと嵐のような男ではあったが、今は厳格な人間になっているのです。実際彼の頭脳は金に価《あたい》
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