思われます。吾々は今ちょうど海岸から突き出てる岩の上に彼の黒い帽子と衣類を発見した所です。彼は海中に飛びこんだように思われるのですがねえ。僕はそれが智慧の足りない彼を打ったかのように彼が見えたと思いました。してたぶん吾々は彼の面倒を見ねばならないのです、しかしそうたいして面倒見る事はありませんでしたが」
「あんたは何んにもなさる事が出来なかったのです」と夫人が言った。「[#「「」は底本では欠落]物事はおそろしい命令に運命を取引きされてるのがわかりませんか? 教授は十字架にさわりました、そして彼が第一に行きました。牧師さんは墳墓を開きました、そして彼は二番目に行きました。私達はただ会堂に這入ったばかりでした。それに私達は――」
「おだまんなされ」と、めったに使わない鋭い声で、師父ブラウンは言った。「これは止めねばならんですぞ」
 彼はなお重々しいしかめ顔をしていた、けれども彼の眼にはもう混乱の雲りがなかった。ただほとんどとけかけたおそろしい了解の光りがあった。
「なんてわしは馬鹿じゃろう!」彼はつぶやいた。「わしはもうとうにそれがわからんければならんのだった。呪いの話しはわしに話されるべきじゃった」
「あなたは十三世紀に起ったある事に依って吾々がほんとに殺されるとこう言われるのですか?」
 師父ブラウンは彼の頭を振ってしずかな語勢で答えた。
「わしは吾々が十三世紀に起ったある事に依って殺されることが出来るかどうかを論じたことはありませんじゃ、しかしわしはな吾々は十三世紀に決して起らなかったなに[#「なに」に傍点]か、すなわち全然起らなかった所のなに[#「なに」に傍点]かに依って殺されないという事はたしかじゃ」
「左様」とターラントが言った、「そのような不可思議な事に対して懐疑的である坊さんを見出すのは愉快な事ですな」
「いやいや」と坊さんはおだやかに答えた、「わしが疑うのは超自然な点ではないのじゃ、それは自然的な点じゃよ。『私は不可能を信ずる事は出来る、がしかし有りそうもない事を信ずる事は出来ぬ』と言うた人の心持ちと同じ所に居りますのじゃ」
「それはあなたが逆説と呼ぶ所の事ではないのですか?」と相手が訊ねた。
「それはわしが常識と呼ぶ所のものじゃよ」師父は答えた。「吾々が了解する事に相反する自然な物語よりは、吾々が了解しない事を話す、超自然的な物語りを信ずるのがもっと自然でありますじゃ、あの偉大なグラドストンが、彼の最後の時パーネルの幽霊につかれたということをわしに話して見なされ、わしはそれについては不可知論者じゃ。しかしグラドストンが最初に、ビクトリア女王にお目通りをした時に、彼女の居間で深い帽子をかぶりそして彼女の後ろをパタンとたたいて彼女に煙草を差上げたという話しをわしに聞けば、わしはちっとも不可知論者じゃありませんわい。それは不可能じゃありませんぞ、それは同じ信ぜられぬ事じゃ、それでわしはパーネルの幽霊が現われなかったというよりはそれは起らなかったという方がもっとたしかでありますじゃ、なぜならそれは私が理解する世界の法律を犯すからじゃ。それで呪いの話しについてもそうですじゃよ。わしが信じないのは伝説じゃありませんのじゃ――それは歴史ですわい」
 ダイアナ夫人は凶事予言者についての彼女の恍惚から少し恢復した。そして新しい事についての彼女の好奇心が彼女の輝いた好奇の眼から再び現われ始めた。
「なんてあなたは奇妙な方でしょう!」彼女が言った。「なぜあなたは歴史を信じないのでしょうか?」
「なぜならそれが歴史じゃないからわしは歴史を信じないのじゃ」師父ブラウンは答えた。「中世紀に関して少しでも知っとる人に取ってはな、その話しは全部グラドストン[#「グラドストン」は底本では「グラドスン」]がビクトリア女王に煙草を差出したのと同じように信じられぬ事なのじゃよ、しかし中世紀について誰がいかなる事を知ってますかな?」
「いいえ、もちろん私は存じませんわ」と夫人は意地悪く言った。
「世界の他の一端において、乾いたアフリカ人の一組を保存したのが、もしタアタアカ人であったら、その理由は神様が御存じじゃ、もしそれがバビロン人かあるいは支那人であったなら、もしそれが月の世界に居る人間のように神秘なある人種じゃったら、新聞紙から歯ブラッシに至るまで、それについて凡てあんた方に報告するじゃろう。がしかし人間は吾々の教会を建てそして吾々の町やまた今現に歩いて道路に名をつけたのじゃ――しかしそれ等について何事も知るような事が起らなんだ。わしもわし自身多くを知っとるのではない、がしかしその物語りは始めから終りまでつまらないそして馬鹿気た事じゃという事を見抜くに充分なだけは知ってますわい。人の店や道具を差押えるのは金貸としてはそれは不正であったのじゃ。ギイド
前へ 次へ
全14ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
直木 三十五 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング