がそのような破産から人を救わなかったという事は、全くありそうな事ではないのじゃ、殊に彼がユダア人に依って破滅させられたのだとするとな。人々は彼等自身の罪悪や悲劇を持ってますのじゃ、彼等は時としては人々を責め苦しめあるいは焼きましたじゃ、世の中に神も希望もなしに、彼が生きていようといまいと誰もかまわない故に死へとだんだんに寄って来るという人間の考え――それは中世紀の思想ではありませんのじゃ。それは吾々の経済的な科学と進歩の生産なのですぞ。そのユダヤ人はきっと領主の家来じゃなかったのじゃろう。ユダア人は神の下僕として特別な位置を持っておったのじゃ、殊に、ユダア人は彼の宗教のために焼き殺されるはずはなかったのじゃ」
「逆説が増してきますな」ターラントが口を入れた、「しかしたしかにあなたは中世紀においてユダヤ人が迫害されていたという事を首肯なさらんでしょうな」
「それは真理に近いようじゃな」師父ブラウンが言った、「彼等は中世紀において迫害されなかった唯一の人々であったという方がな。もし君が中世紀主義を諷刺しようとすればじゃ、あるキリスト教徒がホームアシヤン(三位一体を信ずる人)に関してある過失をしたために生きながらに焼かれ、しかるに富めるユダア人はキリストやその聖母を大っぴらに罵りながら町を横行するかもしれないという事を云えば立派な例を造る事が出来るじゃろう。それは決して中世紀の物語りではなかったのですわい。それは決して中世紀についての伝統でさえなかったのじゃ。それは誰れかが小説かまたは新聞から取った意見でつくり上げられたものじゃな、そしてたぶん一時の興に乗って造ったものじゃ」
 他の人々は歴史的の枝話しに依って少し眩惑したように思われた。そしてなぜ坊さんがそれを力説しそしてまた難問題の一部分をそんなに重大にしたかを不審がるように見えた。枝話しの色々な縺れから実際的な詳細を拾い上げるのが商売であった、ターラントは不意に油断なくなって来た。彼の髯のある顎、いつより前の方へつき出された、しかし彼の凄い眼は大きく見開いていた。
「ああ」彼が言った。「一時の興に乗って作ったか!」
「たぶんそれは針小棒大ですじゃ」師父ブラウンがおだやかに言った。「それは非常に注意深い筋の他のものよりもっとうかつに造られたという方がいいじゃろう。しかし企画者は中世の歴史を詳細に考えなかったのじゃ。普通な方法において彼の推定はかなり正しくあったよ。彼の他の推定のようにな」
「誰れの推察ですか? 誰れが正しかったのですか?」と焦慮の不意な熱心を以て夫人が叫んだ。「あなたが話しておられるのは誰れの事なのですか? あなたの『彼』やそして『彼を』にむずむずさせられずに、私達はやり通せませんか?」
「わしは殺人者について話してますのじゃ」と師父ブラウンが言った。
「何んな殺人者ですか?」彼女は鋭く訊ねた。「あなたはあのお気の毒な教授は殺されたとおっしゃるのですか?」
「左様」ターラントは彼の髯の中でがさつに言った、「吾々は『殺害された』という事は出来んですよ、なぜなら吾々は彼の人が殺されたのを知りませんからな」
「人殺しは他の誰かを殺したのですぞ、それはスメール教授ではないのじゃ」と坊さんはまじめ気に言った。
「まあなぜ、他に誰れを殺しましたか?」と他の者が言った。
「彼はダルハムの牧師である、尊敬すべきジョン・ウォルター氏を殺ろしたのじゃ」とブラウンは気むずかし気に言った。「彼はそれ等の二人を殺ろしたかったのじゃ、なぜなら彼等二人ともある珍らしい型の聖宝を持っておったからじゃ。殺人者はその点において狂人の一種じゃったな」
「それは凡て大変奇妙に思われるな」ターラントがつぶやいた。「もちろん僕等は牧師はほんとに死んだかどうかを誓う事は出来んですよ。吾等は彼の死骸を見ないんですからな」
「大きに言われる通りじゃ」ブラウンが言った。
 そこには銅羅の打撃の様に急な沈黙があった。その沈黙において夫人の内に非常に正確に活動した心の奥底の当推量がほとんど叫び声を上げんばかりに彼女を動かした。
「それはたしかにあんたが見られたものじゃ」と坊さんは話し続けた。「あんたは彼の死骸を見られたはずじゃ。あんたはほんとに生きてる、彼を見なかったのじゃ。しかしあんたは彼の死骸は見られたはずじゃ。君は四本の大きな蝋燭の光りでそれをよく見たのですぞ、そしてそれは海中に自殺的に投げられていなかったじゃ。が十字軍の前に建った寺院にある教会の王子のような風に横たわっておったのじゃ」
「簡単に言いますと」ターラントが言った、「あなたはあのミイラにした死骸はほんとに殺された人の死骸であったと吾々に信ぜよと言われるのですね」
 師父ブラウンは一瞬間黙っていた。それから彼は無頓着な態度で言った。
「それについてわし
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