の発見を重大視するかを手短かに説明するために、私は陥没の要点をあなたにお話しせねばなりません。一方から言いますと、それは陥没から陥没の性質の何物かを持ってました。吾々《われわれ》は古跡の跡の上にばかりではなく古代の古跡の上に居りました。吾々は信ずべき理由を持っていました。そしてまた吾々のある者は人身半牛の迷路と同一視される所の有名な物の如くに、これ等の地下道は、人身牛首時代と現代の探検者との間ずっと失われずに残されたものであるという事を信ずる理由を持っていました。私がこれ等の地下の町や村と言いたい、これ等の地下の場所は、ある動機のもとに、ある人々に依ってもう既に看破されていたという事を信じました。その動機については考えの異った学派がありました。あるものは皇帝が単なる科学的好奇心から探検を命じた物だという事を論じ、また他の者は物凄いアジア的な迷信のあらゆる種類に対する後期ローマ帝国におけるすばらしい流行がある名もないマニス宗の宗徒を出発させたと主張し、またある者は太陽の正面からかくさねばならなかった乱痴気騒ぎは洞穴《ほらあな》において騒ぎ廻ったという事を主張しています。私はこれ等の洞穴は墓穴と同じ様な事に使用されていたと信じた所の仲間に属してます。全帝国に火の様にひろがっていたある迫害時代の間、キリスト信者は石のこれ等大昔の異教徒の迷路にかくれていたという事を吾々は信じました。そこでその埋もれていた金の十字架を拾い上げその上の意匠を見た時は全くゾッとしました。それにもう一度外側にひきかえして陽の光りの中に低い道に沿うて限りなくひろがってる露骨《チサダン》な岩壁を見上げ、そして荒々しい下画《したえ》の中《うち》に描き書かれた、まぎれもない、魚の形を見た時は異状な衝動を受けました。
「それについては幾分あたかも化石した魚かまたは氷にとざされた海の中に永久に附着したある敗残の生物であるかもしれないようにも見られました。私は石の上に描き書いた単なる絵と結びつけずには、この類似を分解する事が出来ませんでした。そして遂に私は心の奥底ではこう考えていたという事を理解しました。すなわち最初のキリスト信者は人間の足のはるか下に落ちて、薄明りと沈黙の陥没した世界に口をきかずに住み、そして暗くそして薄明な音響のない世界に動いて、ちょうど魚の様に見えたに違いないという事ですな。
「石の道路を
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