が、ぶつかり合った。
「上り舟や、客はないか」
と、船頭が叫んだ。それを、橋の上から
「木津|迄《まで》なんぼや」
と、手をあげていた。そういう喧騒《けんそう》を、橋に、肱《ひじ》をついて、呆然《ぼうぜん》と見下ろしている人もあった。
「あら、新撰組や、新撰組も、負けはったらしいな」
「近藤さんや、あの人が」
「あら、土方やがな。近藤さんは、墨染で、鉄砲で打たれた人で、御城で、養生してはんがな」
町の中も、車と人とで一杯だった。夕方か、明日、薩長の兵が乱入してくるという噂が立っていた。
新撰組の人々は、町人も武士も突除けて、小走りに、城へ急いだ。高麗橋口へかかると、馬上の人が、徒歩の人が、激しく出入していた。いつも、右側に、袴をつけて、番所の中に忝《かしこ》まっている番人が、一人もいなかった。
石段を走り上って、中の丸へ入ると、鎧をつけた人が立っていた。一人が、その側を通りがしらに
「鎧は役に立たぬ」
と、云った。その男は、何を云われたか判らぬらしく、新撰組を見送っていた。
百畳敷の前へきた時、土方が
「ここで待てっ」
と、叫んだ。そして、旗本を見ると
「未だついてきたのか」
「はい」
「貴公ら、早く江戸へ戻れ」
「はい」
旗本はそう答え乍ら、衰弱的な眼で、土方を見上げた。
戻る道――それは、何《ど》う成っているか判らなかった。戻っても、何うなるかを江戸にいて、鎧まで金に代えていた旗本であった。軍用金をいくらか貰って、ようよう息をついできた人であった。
(新撰組の人達は、一人でも、暮らして行ける人だから――)
と、考えていた。
「貴隊へ御加えの程を――」
土方は、返事をしないで入って行った。
「御勝手方は、何処だ。食事だ。食事だ」
と、二三人が云った。
「手前が、心得ております。只今、話してきます」
旗本の一人が走出すと、残りの人々も
「暫く、おまち下さい」
と云って、走って行った。
五
近藤勇は、黒縮緬の羽織、着物で、着流しのまま坐っていた。
「敗けたか」
口許に、微かな笑《えみ》を見せて、じっと、土方の顔をみた。
「見事――総敗軍」
「何うして」
「手も足も出ぬ。鉄砲だ」
「鉄砲?」
「うん」
「鉄砲に、手も足も出んとは?」
「貴公は、三匁と、五匁位より知らん。あいつは、五十間せいぜい六十間で当てるのはむずかしいが、洋式鉄砲は、二三町位で利く。一刀流も、無念流も無い。鎧も、甲も、ぷすりぷすりだ」
「躾《しつ》けられんか。銃口《つつぐち》を見て何の辺を覗っているか――」
「あはははは」
土方は、大笑いして
「蛤《はまぐり》御門の時より、一段の進歩だ。それに味方の伝習隊が役に立たぬ」
「味方の鉄砲が役に立たぬに、敵の鉄砲が」
「シャスポーを、フランス式は使用しているが、何んでも幕府に金の無い為、安物を買ったとかで、銃身の何《ど》っかが曲った廃銃まであるという噂もあった」
「有りそうな事だ。そして、誰が討死した」
「うむ――周平が、山崎が、藤堂が――」
「皆、鉄砲でか」
「うむ」
近藤は、暫く、黙っていたが
「何んとか、法の無いものか? 俺は、あると思えるが――」
と、云うと、自分の肩の鉄砲疵の事を思い出した。
(これは、不意討だった。前に、覗っている奴が見つかったなら、撃《う》たれはしまい。謙信は、鉄砲ぐるみ、兵を斬った事さえある)
土方は、懐の金入から、小さい円い玉を出して
「これが、弾丸だ。わしの前へ落ちた奴を、ほじくり出してきた。もう二寸の所で、やられる所だった」
近藤は、じろっと、見たまま、手に取ろうともしなかった。
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下篇ノ一
「何うにか、成るだろう」
開陽丸の甲板の手擦りに凭《もた》れて、岩田金千代が、友人の顔を見た。
「御前は呑気《のんき》だよ」
空は晴上っていた。波は平《たいら》だった。そこに見える陸地に戦争があって、その戦争に、一昨日まで、従っていたとは思えなかった。
金千代は、枚方《ひらかた》で、新撰組の舟に、うまく乗れたし、城中から逃げる時にも、将軍が、天満橋から、茅舟《かやぶね》で、天保山《てんぽざん》へ落ちたとすぐ聞いて、馬を飛ばしたが、間に合って、この舟に乗る事が出来た。同じように、馬でくると云っていた友人は遅れたらしいが
(彼奴《あいつ》は、紀州へ落ちただろう、然《しか》し、紀州だって、敵か味方か、判りはしない。彦根だって、藤堂だって、敵になったのだから――何んて、俺は、運のいい男だろう)
と、思うと
(何とかなるだろう)
と、自信がもてた。
「大阪城の御金蔵には、三千両しか無かったそうだし、江戸は君――あの通りだろう」
江戸では、小栗上野介《おぐりこうずけのすけ》が、軍用金の調達に奔走したが、フランスから借入れる外、方法がつかなかった、そして二人の貰った軍用金とて、少額なものであった。
「人気は悪いし――これで、負け戦《いくさ》になったら。今までさえ食え無いのが、何うなるだろう」
「そんな事を心配していたって――」
金千代は、そう云ったが、江戸へ入ると、幸運が、逃げてしまいそうにも思えた。旗本の相当の人で、蚊帳《かや》の無い人があった。鎧をもっている人は稀《まれ》だった。百石百両という相場で、旗本の株を町人に譲って、隠居する人が、多かった。それで、堪えきれ無くなって旗本から、将軍へ出した事があった。
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「質主と申者《もうすもの》御座候、武器、衣類、大小、道具等右質屋へ預り其値半減、或は三分の一の金高を貸渡、利分は高利にて請取候、武家にても極難儀にて金子才覚仕候ても、貸呉候者御座無候節は」
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という有様であった。そして、旗本はその中で、三味《しゃみ》、手踊を習っていた。
「甲府へ立籠《たてこも》って――」
という声がした。二人が、振向くと、近藤と、土方とであった。二人は、丁寧に、御叩頭をした。
「八王子には千人同心が、少くとも二小隊は集る。菜葉《なっぱ》服が二大隊、これも御味方しよう。甲府城には、加藤|駿河《するが》の手で、三千人、それに、旗本を加えて、五千人は立所に揃うであろう。これで、一戦しようで無いか」
「然し、京都での、新撰組の勢力とはちがうから、吾々の下へ集ってくるのが――」
「それは、相当の役所になって、公方《くぼう》の命令という事にしよう。もし、公方の命令で集らなかったら、それは是非もない事だ」
二人は、帆綱の上へ、腰かけて話していた。金千代が
「せめて、甲府でなりと、手痛く戦いたいですが、今の人数の中へ御加え下さいませんか」
近藤は、頷いた。水夫達は、一生懸命に働いていたが、敗兵達は甲板で、煙草を喫ったり、笑ったりしていた。
二
近藤勇は、若年寄格。土方歳三が、寄合席。隊の名は、甲陽鎮撫隊。隊士一同、悉く、小十人格という事になった。
岩田金千代も、鈴木竜作も、裏金の陣笠《じんがさ》をもらって、新らしく入ってきた隊土に、戦争の経験談を話した。
「火縄銃の外、御前なんか、鉄砲を知らんだろう。長州征伐の負けたのも、その為だ。舶来鉄砲には、第一に三つぼんど筒というのがある。それから、エンピール、スベンセル、こいつが恐い。三町位で、どんとくると、やられる」
「三町も遠くて、当るかい」
「当るように出来てる。伏見では、その為、新撰組が、七八百人やられたんだ」
二百八十人の隊は、二月二十七日の朝――霜の白い、新宿大木戸から、甲州街道を進んだ。二門の大砲が、馬の背につんであった。神奈川|菜葉《なっぱ》隊が後からきて、それを撃つのであった。それから、いろいろの種類の鉄砲が、四十挺。
土方は、もっと集める、と云ったが、金も、品物も無かったし。隊長の近藤が、苦い顔をして
「土方、そんな鉄砲など――」
止めてばかりいた。
撒兵隊《さんぺいたい》、伝習隊、会津兵、旗本、新撰組、それからの寄せ集りで、宗家の為よりも、自分の為であった。入隊しないと、何《ど》うして暮して行けるか見当のつかない人が、沢山に加わっていた。
そして、新撰組は、その人々で、会津兵は東北弁ばかり、旗本は流行言葉――という風に、一団ずつになって、睨合っていた。
大木戸辺まで、町の人々が、隊の両側に、前後に、どよめきつつついてきた。大木戸の黒い門をくぐると
「御苦労さま」
「頼みます」
と、町人達が、一斉に叫んだ。隊士は
「大丈夫」
と、手を挙げて答えた。
三
府中近くなると、もう、人々が迎えにきている。土方も、近藤も可成り前、故郷を離れた切りだったから、新撰組の近藤、土方、若年寄という大役の近藤として、郷土の人々に逢うのは、誇《ほこり》であった。
「御酒と、火とを沢山。用意しておきましただ」
人々は、だんだん増してきて、近藤の馬の左右に、わいわい云いつつついてきた。府中へ入ると、大きい家には、幕が張ってあって、人々が、土下座をして二人を迎えた。一軒の家に
「近藤勇様、土方歳三様御宿所」
と、書いた新らしい立札が立っていた。その前で、二人は馬から降りた。隊土達は、人々に案内されて、寺に、大家に、それぞれ宿泊した。
空っ風に、鼻を赤くして、のりの悪い白粉《おしろい》を厚くつけた女が、町中を走り歩いた。若衆は、錆槍《さびやり》だの、棒だのをもって、役所の表に立った。太鼓が万一の為に用意されて、近藤の家の軒に釣るされた。百姓は、大砲の荷をなでながら
「これが、大筒ちゅうて、どんと打つと、二町も、でけえ丸が飛出すんだ」
と、包んである藁筒《わらづつ》の隙から、砲先《つつさき》をのぞき込んでいた。
金千代と、竜作とは、接待に出た酌婦へ、江戸の流行唄を教え乍ら、酒をのんでいた。
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甲州街道に、
松の木植えて
何をまつまつ
便《た》より待つ
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「あんちゅう、いい声だんべえ。この御侍は、よう」
と、酌婦は、金千代に凭れかかった。金千代は、左手で、女の肩を抱いて
「今度は、上方の流行唄だ」
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宮さん宮さん
御馬の前で
ひらひらするのは何んじゃいな。
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「誰だ」
隣りの部屋から、怒鳴《どな》った。金千代が、黙ると
「怪《け》しからんものを唄う。朝敵とは、何んじゃ」
会津兵が、襖《ふすま》を開けて
「これっ」
金千代は、御叩頭して
「仕舞いまで唄を聞かんといかん」
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あれは、芋兵《いもへい》を
征伐せよとの
葵《あおい》の御紋じゃ無いかいな
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「たわけっ」
と、云って、会津兵が引込んだ。酌婦が、その後姿へ、歯を剥出した。
「御前今夜、どうじゃ」
酌婦は手を握り返して
「俺らも、甲府まで、くっついて行くべえかのう」
「よかんべえ」
竜作が
「雪だ」
と、いった。障子を開けると、ちらちらと降り出していた。
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今宵も、雪に、しっぽりと、
卵酒でもこしらえて
六つ下りに戸を閉めて
二人の交す、四つの袖、
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「ようよう、俺らあ、酔ったよ。金公《きんこう》、金的《きんてき》、もっとしっかり、抱いてくんしょ」
酌婦は、豚のような身体を、金千代に、すりつけた。
四
一人が
「早馬《はや》だ」
と、叫んだ。腹当へ、大きく「御用」と、朱書した馬に乗った侍が、雪の泥濘《でいねい》を蹴って走ってきた。
「留めろ」
近藤が叫んだ。二人の旗持が、旗を振って
「止まれ。止まれっ」
兵が二三人。大手を拡げて
「止まれえ」
「何故止める」
馬の手綱を引締めて、侍が、不安と、怒りに怒鳴った。
「甲陽鎮撫隊長、近藤勇だ。何処の早馬か」
「おおっ――これは、甲府御城代より、江戸表への早馬です」
「敵の様子を知らんか」
「それを知らせに行くんです」
「何処まできた」
「昨夜、下諏訪《しもすわ》へ入りました」
「下諏訪?――甲府まで幾里あるかな」
「十三
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