と云うので、
「別に覚悟とて持ちませぬが、常に死の座に居ると云うつもりをして居りましたところ、最初の裡《うち》は死という事が離れにくく、覚悟をしながらも死と睨めっこする中《うち》いつか、死の事は忘れ果て、今は死の事など存じもよりませぬ」
 と答えた、武蔵|之《これ》を聞くと共に、
「これが兵法の極意に御座ります」
 と申上げた。式台に坐っている多勢の士《さむらい》の中から、この覚悟で生死の境を超脱している都甲太兵衛を、一目で見出したと云う事は一寸《ちょっと》想像もつかぬ恐ろしい話である。武道の士の心懸として「霜の降る音が判る」とか「背後《うしろ》に迫る人の気配を感じる」とか、吾々の想像も出来ぬ感覚をもった話が残されているが私は事実であると思う。
 正保二|乙酉《きのととり》年五月十九日、熊本で死んだ。養子宮本伊織の建てた碑が未だに小倉市外に立っている。



底本:「仇討二十一話」大衆文学館、講談社
   1995(平成7)年3月17日第1刷発行
   1995(平成7)年5月20日第2刷
入力:atom
校正:柳沢成雄
2001年5月12日公開
2004年2月6日修正
青空文庫作成フ
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