し》めている。従って、武蔵はこう云う批評に対して答える必要は無かったであろうし、あるいは後世の人が批評した非難で当時の噂でなかったかも知れない」
 後年熊本に於いて当時の試合の話が出て、さる人が、
「小次郎の鋩子尖《きっさき》が貴殿《あなた》の眉間を傷つけたそうで御座るが」
 と云った時、武蔵、燭台をとって面《おもて》へ近づけつつ、惣髪にしている額を撫で上げつつ、
「よっく御覧なされ、幼い時腫物をして少しあとが御座るが刀傷があるか無いか」
 と、その人の所へ幾度も差《さし》つけたので、この者大いに弱ったと云う話がある。武蔵の詳伝はいつか書きたいが、この人の武芸の何処辺まで到っていたかと云うに就て面白い話がある。後《のち》細川三斎に召されて登城し、
「当家中にて貴殿の御眼識《おめがね》に叶った者御座ろうか」
 と云われた時、武蔵が、
「只今、式台の所にて一人見受け申した」
 と答えた。左右に居流れている中を物色したが、その者が見えぬので、諸士溜所へ自分で立って行って都甲太兵衛《とごうたへえ》と云う者をつれてきた。そして太兵衛に、
「御身の平生の覚悟は」
 と聞いた、太兵衛の辞するを強いて
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