では無いぞ。誰が、汝等如き、卑怯者を、援けるものか)
 と、思った。

    五

 いつ、どこで、敵に逢い、討つか、討たれるか判らない夫の身の上であった。
 仏壇には、いつも、灯が新らしく、そして、陰膳《かげぜん》が美しく――ただ、その中に一つ、気味の悪いのは、薄絹の上の紙の中にある、髪の切ったものであった。
「御家様、内山様が、おみえなされました」
「ま――」
 里恵は、家老の来訪と聞いて、周章てて、客間の用意をさせていると
「いや、かまうな、かまうな」
 と、もう廊下に声がして、内山が、入ってきた。そして
「おお」
 と、笑った。里恵が、両手を突いて、挨拶しかけると
「忙がしい故、そのまま、そのまま」
 と、云って、立ったままで、庭を見乍ら
「よい話を、知らせにきた。実はの」
「はい」
 手を突いたまま、顔を上げると
「城下へ、荒木又右衛門が、数馬同道で、参ったのじゃ」
「ええ?」
 里恵は、顔色をかえた。
「茶店で、或は、宿で、いろいろと、半兵衛の事を聞きただして、すぐ、発足したらしいが、宿の者の話によると、余程、荒木も、半兵衛の槍を、恐れているらしいのじゃ。繰返し、繰返し、槍の長さとか、穂の長さとか、得手は、管槍《くだやり》か、素槍《すやり》か、とか、いろいろ聞いて参ったそうだ。江戸よりの下り道であろう。半兵衛は、名代の腕故、荒木も、穿鑿《せんさく》に参ったものであろうが、御前試合にて、宮本八五郎と、相打になった程の勇士が、心得とは申しながら、半兵衛の事を、訊ねに参ったとは、武士の誉れじゃ。半兵衛がおったなら、一試合させるものを、周章てて、立去ったと申すが――」
「荒木様と、何うして、お判りに」
「数馬が、古今の美男であるし、すぐ、判って、あとを追うたが、もう、足が届かなんだ。荒木程の者が、用心しておるのだから、半兵衛も、名誉な事じゃ。一人で、淋しかろうが、落胆せずに、待っておるがよい。これだけじゃ」
「あの、お茶一つ」
 内山の後姿へ、声をかけたが、内山は
「又、又」
 と、手をあげて、どんどん廊下を、玄関へ出てしまった。里恵は、式台の上で、内山を見送ってしまうと
(荒木程の者が、と――それは、明らかに、夫より、荒木を豪《つよ》いと考えている言葉だ。夫は、それを憤って出て行ったのだが――)
 と、思うと、里恵は、家老に腹が立ってきた。
(いい事を知らせるとは、夫よりも、荒木がえらい、という事を、知らせる事では御座りませぬ――でも、荒木様は夫の事を、訊ねに――)
 と、夫の噂を聞いて、大敵とおもい、様子を尋ねに来た又右衛門の事を考えると、夫を殺す敵だと、思うよりも、夫を理解し、知っていてくれる人だと感じて、何かしら、親しみさえ感じてきた。

    六

 又五郎は、奈良手貝、河合甚左衛門の仮宅に、身を寄せていた。
 江戸から、広島へ、広島から、大阪、奈良へと、己の身体を匿《かく》すのに忙がしかった又五郎は、すっかり、陽に灼けて、旅窶《たびやつ》れがしていた。半兵衛には、それが、可哀そうに見えるよりも、意気地無しのように見えた。そして、それは、又五郎の叔父の、甚左衛門も、同じことであった。甚左衛門は、半兵衛が、知行を捨てて、加勢に来てくれたのを見て、又五郎に
「貴様、のめのめして逃廻るから、皆が、迷惑する」
 と、笑いながら云った。そして
「旗本への手前――旗本が、あれだけ援けて、かばってくれた手前、易々と、池田の者へ首は渡せんから、匿れるのも尤もだが、然し、逃廻ったのは、面白うない。河合又五郎宿泊と、立札でも建てて、もし、池田の者でも、斬込んだなら、よし、討たれるにせよ、一働き働いて死ぬなら武名は、後世に残るが、此奴には、その覚悟がない」
「死ぬよりは、生きている方が、おもしろいからなあ。又五郎。近頃の若い士は、武士の面目ということよりも、金と、女と、長生きという事の方を尊ぶようになった。時勢らしい」
 と、半兵衛が、笑った。そして
「河合殿と、荒木とは、御同藩だが、荒木は、何ういう腕、人物――」
「彼奴、但馬のお気に入りで、今度も、名誉な試合に出たが、腕は、さのみ、わしに優っておろうとは思わぬ。もし、今にも、彼奴と逢えば、勝負は時の運と申そうか? 紙一重と申そうか。必ず討つとも云えぬし、必ず討たれるとも申せぬ。人物は――まず、上出来かのう。わしよりは、当世であろうか、わしは、此奴が、只一人で、江戸を追われたと聞いた時、すぐ、助太刀をしてやろうと、殿へ御暇を頂戴したが、何を考えたか、荒木という奴は、余程経たんと、お暇をとらなかった。あの間考えているだけ、わしより、分別があるのかのう。あはははは」
 又五郎が、半兵衛に
「叔父は、古武士気質と申そうか、一徹者で、何か荒木の計にかかるように思えてならん。郡山の藩中の人
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