間に聞いても、腕は、叔父も、荒木も互角だが、人気は荒木の方が高い。その高い訳は、稽古は、上手下手の手加減がある。然し、叔父には、ただ荒稽古だけだと――」
「それでよいのだ。わしの荒稽古一つ受けられん奴が、一朝事のあった時、馬前の役に立つものか。荒木の稽古で、下手が少々上達したとて、そんな稽古の剣術は、真剣の時の物の役には立たぬ、剣術とは、徒らに竹刀の末の技では無いぞ。いざと云えば、火水の中へも飛込む肚を慥《こしら》えるものだ。お前なぞ、その肚が、一番に出来とらんぞ」
半兵衛は、荒木の稽古振りが判るような気がした。甚左衛門は、己の腕をたのんで、敵を知ろうとしないが、荒木は、己を知り、敵をも知ろうとしていると、考えた。
「半兵衛が来た上は、こんな所に、手間どっている必要は無い。早々に、江戸へ立とう、二百石の格式通り、弓、槍を立てて、いつ荒木と出逢ってもよいようにして、白昼堂々江戸へ入ろう。よし、討っても、討たれても、それが、武士らしい態度だ。ならば、旗でも立てて、河合又五郎一行と書きたいが、そうもならんでのう、半兵衛」
甚左衛門は、又、大きく笑った。
七
馬は、霜柱を、さくさく砕いて、白い鼻煙を、長く吹いていた。長田橋の仮橋の上へきた時
「半兵衛、待った、待った」
と、甚左衛門が、後方から、叫んだ。半兵衛が振向くと
「寒うてならんから、一枚重ねる」
と、声をかけて、馬を停めた。半兵衛は、頷《うなず》いたが
(油断をしてはいけないのに)
と、思った。寒い朝であったから、誰も厚着をしていた。その上へ又重ねては、いざという時に働けまい、と思ったが、然し、荒木の一行が、昨日から見えなかったから、半兵衛も
(寒いのに、耐えきれまい。河合も、もう四十すぎだから――)
と、思って、正面の上野の町やら、来た方の山、田を、見廻していた。
(武芸も四十を越すと、少し下り坂になるかな。寒さが、あれだけ身にこたえるだけ、若い時よりも衰えたのか――いいや、修業一つだろう。六十になっても、袷一枚でいる人さえあるから)
半兵衛は、甚左衛門が相当の腕の人だとは思っていたが、その頭、その肚に於て、荒木の方が、優れていると、判断していた。そして
(わしはわし一人で戦うのだ。誰もあてにはしないぞ)
と、思うと、甚左の重ね着に、批評を加えたのも、いけないように思えた。
(他人が、何をしようが、わしは、わし一人だ)
そう思って、馬をそろそろ歩かせかけると
「お待たせ申した」
と、甚左が、叫んだ。そして、
「齢をとると、寒さだけには、耐えきれん」
と、云った。
一行の一番先には、大阪の町人、又五郎の妹婿虎屋五左衛門が馬で、その次に、半兵衛が、槍持と、下人と、小姓と三人を従えてつづき、その後方に又五郎が、供三人、最後に、甚左衛門が、同じく供三人をつれて、槍を立て、飾鉄砲に、弓矢をもち、それぞれその知行の格式で――所謂《いわゆる》、槍一筋の家柄をみせて、上野の町小田町へかかってきた。
突当りが、高い石垣で、その上に、家があった。右へは、すぐ塔世坂の急な坂路が町へつづき、左は、細い小路を、城の裏手へ出る道であった。
そして、その三つ股道の左右に、鍵屋と、万《よろず》屋と、二軒の茶店が、角店として、旅人を送り迎えしていた(右角が、鍵屋であったという説もある。今そこには、新らしい数馬茶店というのが出来ている)。
八
半兵衛が万屋の角を、右へ曲ると同時に、左側の石垣の所の木の後ろに立っていた士が、走り出してきた。白い鉢巻をしめて、袴立《ももだ》ちをとっていた。半兵衛が
(さては)
と思った時、後方に、鋭い気合がかかって、同時に、うわーっと、乱れ立った人声が、湧起った。
「喜助っ」
と、半兵衛は、手を延して、槍持から、槍を取ろうとした。そして、槍持が
「はい」
と、答えて、槍を半兵衛の方へ、差出そうとした刹那
「うぬっ」
その駈出してきた男が、槍持へ、切りかかった。槍持が、その刀を避けたはずみに、槍の柄は、半兵衛の手から、遠去《とおざ》かった。
「喜助」
半兵衛が、こう叫びつつ、後方へ、横へ眼を配ると、右側の立木の間から、走ってきた士が、半兵衛へ刀を向けて、睨みながら、じりじり迫ったので、半兵衛は、槍に心を取られたまま、馬から飛降りて、刀を抜くと、槍持に
「槍を、早く」
と、叫びつつ、迫る士に、刀を構えた。そして
(荒木は、甚左と戦っているのであろう。甚左も、むざむざと討たれはすまい。然し、荒木を甚左に討たせたくは無い、わしが強いか、荒木が強いか、わしは、その勝負の為に、出てきたのだ)
半兵衛は、早く、この下人を斬って、荒木と勝負したいと思った。それで
「下郎、推参なっ」
と、叫ぶと、じりじり刻んで行った。刀をとって
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