供時代の憶出《おもいで》に耽った、丈なす雑草が私達の上に森の如くにひろがる時、私達は小鬼《エルフィン》の踊るを見るようなちょっと冒険的な気持になる、二人はそんな気持にも浸るのであった。大きな月に対してすうっと立つ雛菊は実際巨大な雛菊に見えた、またたんぽぽも巨大なタンポポに見えた。なぜかそれは彼等に子供部屋の腰羽目の壁紙を憶出させた。河床がひろいため、二人は凡《すべ》ての灌木や草花の根本よりズッと下方にあったので、仰向いて草を眺めるような形になった。
「やれやれ、まるで仙郷《せんきょう》へでも来たような気がする」とフランボーが云った。師父《しふ》ブラウンは舟の中にすわったまま真直になって十字をきった。彼の動作が余りにだしぬけだったので、相手はどうかしたんではないかと訊ねたほどだった。
「中世の民謡を書いた人々は」と坊さんが答えた。「仙女のことについては君よりもよく進んでいる。仙郷だからとて結構なことばかりあるわけのものではないでな」
「いやそんなことはない!」とフランボーが云った。「こんな淡い月の下では結構なことばかり起るものです。私はこれから大変に躍進して何が飛出すか一つ見ましょう。こ
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