ものとなった――侮辱をうけた夫がシシリー島の絶壁の上から身を投げて死んだと云われる自殺事件であった。公爵はその時しばらくヴィエンナに滞在していたが、近年は始終旅から旅へと暮していたように見えた。しかしフランボーが公爵自身のように欧羅巴《ヨーロッパ》をすてて英吉利《イギリス》に定住《じょうじゅう》することになった時、彼はノーフォーク州の広沢《ブロード》地方に住むその名士を突然訪問しようと思い立つに至った。彼はその場所を実際|探《たず》ね当るかどうか、それはフランボーにも見当がつかなかった。そして全く、それは人の知らない片田舎ではあったけれども彼はその場所を予期していたよりは早く見出したのであった。
 彼等は一夜、丈なす雑草や短い刈込樹に蔽われた堤防の下《もと》に舟を舫《もや》った。昼の力漕《りきそう》のために眠りが彼等に早くやって来た。そしてまだ暗いうちに眼が醒めた。厳密に云えば、まだ夜のあけぬうちに起出でたのだ。なぜなら大きなレモン色の月が、今やっと二人の頭上に丈なす草の葉影に沈んで、空はまだ夜色を帯びつつも、すがすがしい菫青色《きんせいしょく》に輝いていたからである。二人は思わず、小
前へ 次へ
全45ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
直木 三十五 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング