た。
 耶馬渓の谷は、実にその浅いのを、またはその水の瀬の平凡なのを、また斜木の少いのを病とはしてゐないのであつた。何故と言ふに、渓の特色は、価値は寧ろその岩石にあるのである。山の突兀として聳えた形にあるのである。従つて浅い谷が、潺渓とした水が却つてそれに伴つてゐるのである。
 であるから、此処では、決して急瀬奔湍の奇を見ることは出来ない。雲烟※[#「分/土」、第4水準2−4−65]涌、忽ち晴れ忽ち曇るといふやうな深山の趣を見ることは出来ない。密林深く谷を蔽つて水声脚下にきこえるやうな世離れた感じを味ふことは出来ない。夏日の冷めたい清水に手も切るゝやうな快を得ることは出来ない。さうしたことを望んで、そしてそこに入つて行くものは必ず失望する。しかし渓流が処々に山村を点綴して、白堊の土蔵あり、田舎籬落あり、時にはトンネル、時には渓橋、時には飛瀑、時には奇岩といふ風に、行くままに、進むままにさながら文人画の絵巻でも繙くやうに、次第にあらはれて来るさまは、優に天下の名山水の一つとして数ふるに足りはしないか。頼山陽もさうした形が面白いと思つたのではないか。
 私は私の乗つた軌道車が、樋田あたりか
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