ら夜になつて、渓を一々仔細に目にすることの出来ないのを憾んだが、しかしその車に燈火がなく、外はおぼろ月夜であつたために、却つて両岸の※[#「燐の火へんに代えて山へん」、第4水準2−8−66]※[#「山+旬」、第3水準1−47−74]を見得たことを喜ばずにゐられなかつた。夜に見た耶馬渓ではなくて、奇岩突兀とした耶馬渓であつた。それが私に耶馬渓に対して正しい判断を与へる有力な材料となつた。
奇岩は一つ一つ夜の微明るい空を透して聳えて見えた。
従つて最初行つた時に、羅漢寺の岩石も、この渓の一部であるとして見れば面白くないことはないと思つた。柿坂から新耶馬渓の奥を究めるに至つて、いよ/\さうした私の考へは肯定された。
耶馬渓は渓全体として面白いのであつた。其処に青の洞門があり、彼処に羅漢寺があり、またその一方に柿坂のやうな、いかにも山の宿駅らしい部落があるといふ形が面白いのであつた。こゝから一つ一つ、五竜の渓を離し、点返りの瀑を離し、帯岩を離し、津民谷を離して見ては、決して単独にその勝を誇ることは出来ないのであつた。
私は山移川の谷もかなりに深くわけて入つて見た。落合といふ村のあるあた
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