室が家の人達の室と続いてゐるので、亭主や上さんや子供達は遠慮なく私達の室に入つて来て話した。実際、母親の言葉通り、何処か田舎の親類へでも呼ばれてゐるやうな気がした。室の隅には耶馬渓焼の廉い陶器や、西行の像を焼いた玩具や、いろ/\なものが客に売るために置いてあつたが、七八歳になる男の児は、父親の此方に来て話してゐる傍に、それを持つてやつて来て、「西行さん、坊さん、西行さん、坊さん」などと言つた。
夜は静かに更けた。水声が私達の枕を撼《ゆるが》すやうにした。
あくる朝は早く起きた。幸ひに天気は好かつた。さわやかな朝日の光線は深く谷の中までさし込んで来た。深樹の緑に置いた朝露はキラ/\と美しく光つた。
宿の亭主は私達を案内して、山陽の筆を擲つたといふ渓の畔へと伴れて行つた。二階の客の発つたあとでは「お構ひもしなかつた。」と改めて私達をそこに導いて、津民谷で獲れた鰻などを馳走した。あつさりしてゐて旨い鰻であつた。
帰る時には、亭主はその男の児を伴れて、停車場までわざ/\送つて来て呉れた。茶代の影響とは言へ、流石は山の中の質朴さであつた。「本当に、初め行つた時は、こんな山の中の家に泊る
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