がないお蔭だなどと私は思つた。
津民の停車場を汽車が動き出したと思つた時、一隅に寝てゐた男はふと身を起して、
「今のは津民ですか?」
「さうです……」
窓の外を覗いたり何かしてゐたが、それと知つて慌てたらしく、そのまゝ急いで下り口の方へ行つたが、「あぶないですよ!」と女や母親が心配して声をかけるのも聴かずに、そのまゝばた/\飛んで下りた。
女は立つて行つたが、覗いて見て、「まあ、乱暴なことをするのね、飛び下りたんですよ。」
「何うかしやしないかしら……危ないねえ。」
かう母親も言つた。
「なアに、速力が遅いから大丈夫ですよ。」
「でも、ね、乱暴ねえ、何うかしやしないかしら、怪我でもして倒れてゐやしないかしら――」かう言つて母親はおぼろ月夜の路を窓から覗いた。
柿坂の停車場は灯に明るかつた。それに、空には月がおぼろに見えて、山村の藁葺の尖つた屋根や、灯にかゞやいた停車場の旅舎や、周囲をめぐる山などがそれと見えた。水声はあたりに響くやうにきこえた。
かぶと屋――かう言つて尋ねて街道筋の或る古い旅舎まで私達は行つたが、「別荘の方へ」と言はれて、宿の提灯に案内されて、雨後の泥濘の路
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