着いた時には、最早渓流の白い瀬をも見ることが出来なかつた。汽車がとまると、唯水の音が淙々として聞えた。
幸ひにも雨は晴れたらしかつた。手を窓の外に出して見た女は、
「あゝ好い塩梅に止んだわ。」
と言つて、晴れてゐたら月がさぞ美しく渓を彩るであらうと思はれるやうな、底の明るみを持つた空を仰いだ。
「天気になりさうね。」
「なるかも知れないよ。」
このおぼろ夜が、被衣につゝまれたやうな茫とした白い夜が私には嬉しかつた。それにさつきから気にしてゐたが、三等室には電気がついて居ながら、二等室には竟に灯が点かなかつた。
「つかないのかしら、えらい汽車の二等室ね。」かう女は私やその母親に言つた。
「闇の方が好いよ。その方が山や川が見えるよ。」
私はかう女に言つた。さつきあれほど乗つてゐた乗客は――三等室も二等室もない程乗つてゐた人達は、何時となく下りて、私達のゐる車室には、私達三人と他に一人隅に横になつてゐる男があるばかりであつた。
灯のない汽車は、茫とした白い夜の中を静かに走つた。川の瀬は白く、両岸には、奇岩の兀立してゐるのが微かであるが、それでも到る処に指さゝれた。これも車中に灯かげ
前へ
次へ
全12ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田山 花袋 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング