てないといふことが少なからず人々を悲《かなし》ませた。私《わたし》も悲しかつた。
私《わたし》は今年《ことし》三十八である。父親が海をこえてこの遠い九州の野に来た年齢《とし》は殆ど同じである。私《わたし》は二十年|前《ぜん》、死ぬ四日前に此処《こゝ》に来た父親の心を考へずには居《ゐ》られなかつた。
子の眼に映つた田舎町が其《その》当時父の眼に映つた田舎町とさう大《たい》して違ひはないといふことは、古い家並、古い通《とほり》、古い空気が明《あきら》かにそれを証拠立てゝ居《ゐ》る。父も家庭に対する苦《くるし》み、妻子に対する苦《くるし》み、社会に対する苦《くる》しみ――所謂《いはゆる》中年の苦痛《くるしみ》を抱《いだ》いて、其《その》時|此《こ》の狭い汚い町を通《とほ》つたに相違《さうゐ》ない。世の係累を暫《しば》し戦ひの巷《ちまた》に遁《のが》れやうとしたか、それともまだ妻子の為《た》めに成功の道を求めやうとしたか、それは何方《どつち》であるか解《わか》らぬが、兎《と》に角《かく》自《みづ》から進んで此《この》地に遣《や》つて来たことは事実である。私《わたし》は官軍の服を着けた将校兵
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