みせ》、葉茶屋《はぢやや》、呉服商、絵葉書屋などが並んで居《ゐ》た。孰《いづ》れも古い家屋《かをく》ばかりで、此処《こゝ》らあたりの田舎町の特色がよく出て居《ゐ》た。町の中央に、芝居小屋があつて、青い白い幟《のぼり》が幾本《いくほん》となく風にヒラヒラして居《ゐ》た。
私《わたし》の想像は二十年|前《ぜん》の私《わたし》の故郷の藁葺《わらぶき》の田舎|家《や》に私《わたし》を連れて行つた。
母親は筒袖《つゝそで》を着て、いざり機《ばた》をチヤンカラチヤンカラ織つて居《ゐ》た。大名縞《だいめうじま》が梭《おさ》の動く度《たび》に少しづゝ織られて行く。裏には栗の樹《き》が深い蔭《かげ》をつくつて、涼しい風を絶えず一|室《しつ》に送つて来る。壁に張つてある煤《すゝ》けた西南戦争の錦絵《にしきゑ》を私《わたし》は子供心《こどもごゝろ》によく覚えて居《ゐ》た。
『肥後八|代《しろ》横手村《よこてむら》』
母親はよく其《その》村のことを話した。四ツ切の大きな写真が箪笥《たんす》の底に蔵《しま》つてあつた。墓がいくつとなく並んで居《ゐ》る写真であつた。其《その》墓の一つを母親が指《ゆびさ》して『これがお前の父《おとつ》さんのお墓だよ。父《おとつ》さんは此処《こゝ》に居《ゐ》るんだよ。成長《おほき》くなつたら、行つて御覧?』
またある時は、
『生きて居《ゐ》るなら、何《どん》なに遠くつても、お金を持《もつ》て、訪ねて行《ゆ》くけれど、お墓になつて居《ゐ》てはねえ!』
母親の眼からは涙が流れた。その時に限らず、母親の膝を枕に、私《わたし》は其《そ》の父親の話――御国《みくに》の為《た》めに戦死した豪《えら》い父親の話を聞いて居《ゐ》ると、いつも私《わたし》の頬《ほう》に冷たいものゝ落ちるのが例《れい》であつた。母親は其《その》話をしては泣かずには居《ゐ》られなかつた。
姉は其《その》頃十五六で、
『お前なぞは男だから、成長《おほき》くなつたら、いくらでもお墓|参《まゐり》が出来るけれど、私《わたし》などは女だから、ねえ母《おつか》さん。……でも、一生に一度はお参《まゐ》りしたい!』
私《わたし》は子供心《こどもごゝろ》に、父親のことを考へた。国の為《ため》に死んだ豪《えら》い父親! 其《その》墓のある処《ところ》はどんな処《ところ》だらうと思つた。
故郷の藁葺家《わらぶきや》と、汚ない八畳の間と、裏の栗の樹《き》と、真黒になつてヤンマ取りに夢中になつて居《ゐ》る八歳の子供と――其《その》子供が別の子供のやうに眼の前を通つた。
後送された父親の遺留品の中に、手帳が一冊あつた。
成長《おほき》くなつてから、私《わたし》は幾度《いくど》も其《その》手帳を見たことがある。
普通の革の手帳で、鉛筆が一本挿してあつた、中《なか》には日記がつけてあつた。
其《その》日記を私《わたし》は覚えて居《ゐ》る――
四月十日
昨夜長崎より船にて上陸す。
賊軍少々抵抗したれど、忽《たち》まちにして退散す。気候暖かし。晴《はれ》。
十一日
八|代《しろ》にて昼食《ちうじき》。士民官軍を喜び迎ふ。
甲佐《かふさ》方面に賊軍本営を置くとの説あり。
菜の花既に盛《さかり》を過ぐ。
十二日|曇《くもり》
進軍
十三日|晴《はれ》
十四日|晴《はれ》
これで跡は白くなつてゐる。十四日の午後、御船《みふね》附近の戦争で、父親は胸に弾丸《たま》を受けて、死屍《しゝ》となつて野に横《よこた》はつたのである。十四日|晴《はれ》――と書いて、後《あと》が何も書いてないといふことが少なからず人々を悲《かなし》ませた。私《わたし》も悲しかつた。
私《わたし》は今年《ことし》三十八である。父親が海をこえてこの遠い九州の野に来た年齢《とし》は殆ど同じである。私《わたし》は二十年|前《ぜん》、死ぬ四日前に此処《こゝ》に来た父親の心を考へずには居《ゐ》られなかつた。
子の眼に映つた田舎町が其《その》当時父の眼に映つた田舎町とさう大《たい》して違ひはないといふことは、古い家並、古い通《とほり》、古い空気が明《あきら》かにそれを証拠立てゝ居《ゐ》る。父も家庭に対する苦《くるし》み、妻子に対する苦《くるし》み、社会に対する苦《くる》しみ――所謂《いはゆる》中年の苦痛《くるしみ》を抱《いだ》いて、其《その》時|此《こ》の狭い汚い町を通《とほ》つたに相違《さうゐ》ない。世の係累を暫《しば》し戦ひの巷《ちまた》に遁《のが》れやうとしたか、それともまだ妻子の為《た》めに成功の道を求めやうとしたか、それは何方《どつち》であるか解《わか》らぬが、兎《と》に角《かく》自《みづ》から進んで此《この》地に遣《や》つて来たことは事実である。私《わたし》は官軍の服を着けた将校兵
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