らぶきや》と、汚ない八畳の間と、裏の栗の樹《き》と、真黒になつてヤンマ取りに夢中になつて居《ゐ》る八歳の子供と――其《その》子供が別の子供のやうに眼の前を通つた。
後送された父親の遺留品の中に、手帳が一冊あつた。
成長《おほき》くなつてから、私《わたし》は幾度《いくど》も其《その》手帳を見たことがある。
普通の革の手帳で、鉛筆が一本挿してあつた、中《なか》には日記がつけてあつた。
其《その》日記を私《わたし》は覚えて居《ゐ》る――
四月十日
昨夜長崎より船にて上陸す。
賊軍少々抵抗したれど、忽《たち》まちにして退散す。気候暖かし。晴《はれ》。
十一日
八|代《しろ》にて昼食《ちうじき》。士民官軍を喜び迎ふ。
甲佐《かふさ》方面に賊軍本営を置くとの説あり。
菜の花既に盛《さかり》を過ぐ。
十二日|曇《くもり》
進軍
十三日|晴《はれ》
十四日|晴《はれ》
これで跡は白くなつてゐる。十四日の午後、御船《みふね》附近の戦争で、父親は胸に弾丸《たま》を受けて、死屍《しゝ》となつて野に横《よこた》はつたのである。十四日|晴《はれ》――と書いて、後《あと》が何も書いてないといふことが少なからず人々を悲《かなし》ませた。私《わたし》も悲しかつた。
私《わたし》は今年《ことし》三十八である。父親が海をこえてこの遠い九州の野に来た年齢《とし》は殆ど同じである。私《わたし》は二十年|前《ぜん》、死ぬ四日前に此処《こゝ》に来た父親の心を考へずには居《ゐ》られなかつた。
子の眼に映つた田舎町が其《その》当時父の眼に映つた田舎町とさう大《たい》して違ひはないといふことは、古い家並、古い通《とほり》、古い空気が明《あきら》かにそれを証拠立てゝ居《ゐ》る。父も家庭に対する苦《くるし》み、妻子に対する苦《くるし》み、社会に対する苦《くる》しみ――所謂《いはゆる》中年の苦痛《くるしみ》を抱《いだ》いて、其《その》時|此《こ》の狭い汚い町を通《とほ》つたに相違《さうゐ》ない。世の係累を暫《しば》し戦ひの巷《ちまた》に遁《のが》れやうとしたか、それともまだ妻子の為《た》めに成功の道を求めやうとしたか、それは何方《どつち》であるか解《わか》らぬが、兎《と》に角《かく》自《みづ》から進んで此《この》地に遣《や》つて来たことは事実である。私《わたし》は官軍の服を着けた将校兵
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