ゐ》の卑《いや》しい女が、色の褪《さ》めた赤い腰巻を捲《まく》つて、男と立つて話をして居《ゐ》た。其処《そこ》に細い巷路《かうぢ》があつた。洗濯物が一面に干してあつた。
『肥後の八代《やつしろ》とも言はれる町が、まさかこんなでもあるまい。此処《こゝ》は裏町か何かで、賑《にぎや》かな大通《おほどほり》は別にあるだらう』と私《わたし》は思つた。成程《なるほど》、少し行くと、通《とほり》がいくらか綺麗《きれい》になつた。十字に交叉《かうさ》した路《みち》を右に折れると、やがて私《わたし》の選んだ旅店《やどや》の前に車夫は梶棒《かぢぼう》を下《おろ》した。
 私《わたし》の通された室《へや》は、奥の風通しの好《い》い二階であつた。八畳の座敷に六畳の副室があつた。衣桁《えかう》には手拭が一|筋《すぢ》風に吹かれて、拙《まづ》い山水《さんすゐ》の幅《ふく》が床の間に懸《か》けられてあつた。座敷からすぐ瓦屋根に続いて、縁側も欄干《てすり》もない。古い崩れがけた[#「崩れがけた」はママ]黒塀《くろべい》が隣とのしきりをしては居《ゐ》るが、隣の庭にある百日紅《さるすべり》は丁度《てうど》此方《こちら》の庭木であるかのやうに鮮《あざや》かにすぐ眼の前に咲いて居《ゐ》る。
 そして其《その》向ふに、同じつくりの二階屋がずらりと幾軒《いくけん》も並んで、其《そ》の裏を見せて居《ゐ》る。二階屋の裏! 其処《そこ》には蚊帳《かや》が釣つたまゝになつて居《を》る家《いへ》もあつた。雨戸が半ば明けられて、昨夜《ゆふべ》吊つたまゝの盆燈籠《ぼんどうろ》が其《その》軒に下げてある家《いへ》もあつた。雨戸の全く閉め切つてある家《いへ》もあつた。箪笥《たんす》、葛籠《つゞら》、長持《ながもち》、机などが見えた。不図《ふと》、其中《そのうち》の一軒から、艶《なまめ》かしい女が、白い脛《はぎ》を見せて、今時分《いまじぶん》ガラガラと雨戸を繰《く》り出《だし》た。
 茶を運んで出た女に、
『向ふの二階屋の表面《おもて》は大通りになつて[#「なつて」は底本では「なって」]居《ゐ》るのかね?』
『さうだツけん』と女は笑つた。
 其《その》二階屋の表の通《とほり》を私《わたし》は夕餐《ゆふめし》の後《のち》に通つて見た。其処《そこ》が此《この》田舎町の大通《おほどほり》で――矢張《やはり》狭かつた――西洋小間物|店《
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