ま》ぜて瓶《かめ》にさして供へた。伯母《おば》は其《その》日は屹度《きつと》筍《たけのこ》を土産《みやげ》に持つて来た。長い年月《としつき》――さうして過した長い年月《としつき》を、此《この》墓守の爺《ぢゝ》は、一人さびしく草を除《と》つて掃除して居《ゐ》たのだ。
私《わたし》は墓の前に跪《ひざまづ》いた。
一人息子であつた父の戦死を嘆いた祖父母も死んだ。夫に死なれた為《た》めに、険しいさびしい性格になつて常に家庭の悲劇を起した母も死んだ。難《むづ》かしい母親の犠牲になつた兄も死んだ。
弾丸《たま》を胸部《むね》に受けて、野に横《よこたは》つた父の苦痛と、長い悲しい淋しい生活を続けた母の苦痛と、家庭の悲惨な犠牲になつて青年の希望も勇気も消磨《せうま》しつくして了《しま》つた兄の苦痛と――人生は唯《たゞ》長い苦痛の無意味の連続ではないか。
私《わたし》は父の戦死から生じた総《すべ》ての苦痛を味《あじは》つて来た。絶望が絶望に続き、苦痛が苦痛に続いた。その絶望と苦痛の中《うち》で、私《わたし》は人の夫となり、人の親となつた。総領の男の児《こ》は、丁度《ちやうど》今|私《わたし》が父に死別《しにわか》れた時の年齢と同じである。
私《わたし》は父親のことよりも、自分と妻と児《こ》のことを考へた。過去よりも現在が烈《はげ》しく頭を衝《つ》いた。
『人間はかうして生存して居《ゐ》るのだ。かうして現在から現在を趁《はし》つて、無意味の中《うち》に生れて、生きて、で、そして死んで行くのだ』
『平凡なる事実だ。言ふを待たざることだけれど、事実だ』
私《わたし》はジツとして墓の前に立つて居《ゐ》た。
いろいろな顔や、いろいろな舞台《シーン》が早く眼の前を過ぎた。父の若かつた時のことから、自分の児《こ》の死ぬ時までのことが直線を為して見えるやうに思はれる。死は死と重なり、恋は恋と重なり、苦痛は苦痛と重なり、墓は墓と重なり、そして人生は無窮に続く。
私《わたし》は四|辺《へん》を※[#「目+旬」、第3水準1−88−80]《みまは》した。かうした長い連続を積上げて行く一日一日のいかに平凡に、いかに穏《をだや》かであるかを思つた。日影は暑くなり出した。山には朝の薄い靄《もや》が靡《なび》いて、複雑した影を襞《ひだ》ごとにつくつた。青い田と田の間《あひだ》の小《ち》さい蓮池には
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