いで、痘痕面《あばたづら》で、頭はなかば白かった。ここあたりによく見るタイプで、言葉には時々|武州訛《ぶしゅうなまり》が交《まじ》る。井泉村の助役の手紙を読んで、巻き返して、「私は視学からも助役からもそういう話は聞かなかったが……」と頭を傾《かたむ》けた時は、清三は不思議な思いにうたれた。なんだか狐《きつね》につままれたような気がした。視学も岸野もあまり無責在に過ぎるとも思った。
村長はしばらく考えていたが、やがて、「それじゃもう内々転任の話もきまったのかもしれない。今いる平田という教員が評判が悪いので、変えるっていう話はちょっと聞いたことがあるから」と言って、
「一つ学校に行って、校長に会って聞いてみるほうがいい!」
横柄《おうへい》な口のききかたがまずわかいかれの矜持《プライド》を傷つけた。
何もできもしない百姓の分際《ぶんざい》で、金があるからといって、生意気な奴だと思った。初めての教員、初めての世間への首途《かどで》、それがこうした冷淡《れいたん》な幕で開かれようとはかれは思いもかけなかった。
一時間後、かれは学校に行って、校長に会った。授業中なので、三十分ほど教員室で待った。教員室には掛図《かけず》や大きな算盤《そろばん》や書籍や植物標本《しょくぶつひょうほん》やいろいろなものが散らばって乱れていた。女教員《じょきょういん》が一人隅のほうで何かせっせと調べ物をしていたが、はじめちょっと挨拶《あいさつ》したぎりで、言葉もかけてくれなかった。やがてベルが鳴る、長い廊下を生徒はぞろぞろと整列してきて、「別れ」をやるとそのまま、蜘蛛《くも》の子を散らしたように広場に散った。今までの静謐《せいひつ》とは打って変わって、足音、号令《ごうれい》の音、散らばった生徒の騒《さわ》ぐ音が校内に満ち渡った。
校長の背広《せびろ》には白いチョークがついていた。顔の長い、背の高い、どっちかといえばやせたほうの体格で、師範《しはん》校出の特色の一種の「気取《きど》り」がその態度にありありと見えた。知らぬふりをしたのか、それともほんとうに知らぬのか、清三にはその時の校長の心がわからなかった。
校長はこんなことを言った。
「ちっとも知りません……しかし加藤さんがそう言って、岸野さんもご存じなら、いずれなんとか命令があるでしょう。少し待っていていただきたいものですが……」
時宜《じぎ》によればすぐにも使者《ししゃ》をやって、よく聞きただしてみてもいいから、今夜一|晩《ばん》は不自由でもあろうが役場に宿《とま》ってくれとのことであった。教員室には、教員が出たりはいったりしていた。五十ぐらいの平田という老朽《ろうきゅう》と若い背広の関《せき》という准《じゅん》教員とが廊下の柱の所に立って、久しく何事をか語っていた。二人は時々こっちを見た。
ベルがまた鳴った。校長も教員もみな出て行った。生徒はぞろぞろと潮《うしお》のように集まってはいって来た。女教員は教員室を出ようとして、じろりと清三を見て行った。
唱歌の時間であるとみえて、講堂に生徒が集まって、やがてゆるやかなオルガンの音が静かな校内に聞こえ出した。
三
村役場の一夜《ひとよ》はさびしかった。小使の室《へや》にかれは寝ることになった。日のくれぐれに、勝手口から井戸のそばに出て、平野をめぐる遠い山々のくらくなるのを眺めていると、身も引き入れられるような哀愁《かなしみ》がそれとなく心をおそって来る。父母《ちちはは》のことがひしひしと思い出された。幼いころは兄弟も多かった。そのころ父は足利《あしかが》で呉服屋をしていた。財産もかなり豊かであった。七歳の時没落して熊谷《くまがや》に来た時のことをかれはおぼろげながら覚えている。母親の泣いたのを不思議に思ったのをも覚えている。今は――兄も弟も死んでしまって自分一人になった今は、家庭の関係についても、他の学友のような自由なことはいっていられない。人のいい父親と弱々しく情愛の深い母親とを持ったこの身は、生まれながらにしてすでに薄倖《はっこう》の運命を得てきたのである。こう思うと、例のセンチメンタルな感情が激《はげ》しく胸に迫《せま》ってきて、涙がおのずと押すように出る。
近い森や道や畠は名残りなく暮れても、遠い山々の頂《いただき》はまだ明るかった。浅間の煙が刷毛《はけ》ではいたように夕焼けの空になびいて、その末がぼかしたように広くひろがり渡った。蛙《かわず》の声がそこにもここにも聞こえ出した。
ところどころの農家に灯《ともしび》がとぼって、唄《うた》をうたって行く声がどこか遠くで聞こえる。
かれはじっと立ちつくしていた。
ふと前の榛《はん》の並木のあたりに、人の来る気勢《けはい》がしたと思うと、華《はな》やかに笑う声がして、足音がばたばたと聞こえる。小川屋に弁当と夜具を取りに行った小使が帰って来たのだと思っていると、夕闇の中から大きな夜具を被《かず》いた黒い影が浮き出すように動いて来て、そのあとに女らしい影がちょこちょこついて来た。
小使は室のうちにドサリと夜具を置いて、さも重かったというように呼吸《いき》をついたが、昼間掃除しておいた三|分心《ぶじん》の洋燈《らんぷ》に火をとぼした。あたりは急に明るくなった。
「ご苦労でした」
こう言って、清三が戸内《こない》にはいって来た。
このとき、清三はそこに立っている娘の色白の顔を見た。娘は携《たずさ》えて来た弁当をそこに置いて、急に明るくなった一室をまぶしそうに見渡した。
「お種坊《たねぼう》、遊んでいくが好《え》いや」
小使はこんなことを言った。娘はにこにこと笑ってみせた。評判な美しさというほどでもないが、眉《まゆ》のところに人に好かれるように艶《えん》なところがあって、豊かな肉づきが頬《ほお》にも腕にもあらわに見えた。
「お母《っかあ》、加減《あんべい》が悪いって聞いたが、どうだい。もういいかな」
「ああ」
「風邪《かぜ》だんべい」
「寒い思《おも》いをしてはいけないいけないッて言っても、仮寝《うたたね》なぞしているもんだから……風邪《かぜ》を引いちゃったんさ……」
「お母《っかあ》、いい気だからなア」
「ほんとうに困るよ」
「でも、お種坊はかせぎものだから、お母《っかあ》、楽ができらアな」
娘は黙って笑った。
しばらくして、
「お客様の弁当は、明日《あした》も持って来るんだんべいか」
「そうよ」
「それじゃ、お休み」
と娘は帰りかけると、
「まア、いいじゃねえか、遊んでいけやな」
「遊んでなんかいられねえ、これから跡仕舞《あとじま》いしねきゃなんねえ……それだらお休み」と出て行ってしまう。
弁当には玉子焼きと漬《つ》け物《もの》とが入れられてあった。小使は出流《でなが》れの温《ぬる》い茶をついでくれた。やがて爺《じじい》はわきに行って、内職の藁《わら》を打ち始めた。夜はしんとしている。蛙の声に家も身も埋《う》めらるるように感じた。かれは想像にもつかれ、さりとて読むべき雑誌も持って来なかったので、包みの中から洋紙を横綴《よことじ》にした手帳を出して、鉛筆で日記をつけ出した。
四月二十五日と前の日に続けて書いて、ふと思いついて鉛筆を倒《さかさ》にして、ゴムでゴシゴシ消した。今日は少なくとも一生のうちで新しい生活にはいる記念の第一日である。小説ならば、編《パアト》が改まるところである。で、かれは頁《ページ》の裏を半分白いままにしておいて、次の頁から新《あら》たに書き始めた。
四月二十五日、(弥勒《みろく》にて)……
一|頁《ページ》ほど簡単に書き終わって、ついでに今日の費用《かかり》を数えてみた。新郷《しんごう》で買った天狗《てんぐ》煙草が十銭、途中の車代が三十銭、清心丹が五銭、学校で取った弁当が四銭五厘、合計四十九銭五厘、持って来た一円二十銭のうちから差引き七十銭五厘がまだ蝦蟇口《がまぐち》の中に残っていた。続いて今度ここに来るについての費用を計算してみた。
[#ここから5字下げ]
[#ここから横書き]
25.0…………………………認印
22.0…………………………名刺
3.5…………………………歯磨および楊子
8.5…………………………筆二本
14.0…………………………硯
1,15.0…………………………帽子
1,75.0…………………………羽織
30.0…………………………へこ帯
14.5…………………………下駄
―――
4,07.5
[#ここで横書き終わり]
[#ここで字下げ終わり]
これに前の七十銭五厘を加えて総計四円七十八銭也と書いて、そしてこの金をつくるについて、父母《ちちはは》の苦心したことを思い出した。わずか一円の金すら容易にできない家庭の憐《あわれ》むべきをつくづく味気《あじき》なく思った。
夜着《よぎ》の襟《えり》は汚《よご》れていた。旅のゆるやかな悲哀《ひあい》がスウイトな涙を誘《さそ》った。かれはいつかかすかに鼾《いびき》をたてていた。
翌日は学校の予算表の筆記を頼まれて、役場で一日を暮らした。それがすんでから、父母に手紙を書いて出した。
夕暮れに校長の家から使いがある。
校長の家は遠くはなかった。麦の青い畑《はた》のところどころに黄いろい菜の花の一畦《いっけい》が交った。茅葺《かやぶき》屋根の一軒|立《だ》ちではあるが、つくりはすべて百姓家の構《かま》えで、広い入り口、六畳と八畳と続いた室《へや》の前に小さな庭があるばかりで、細君のだらしのない姿も、子供の泣き顔も、茶の間の長火鉢も畳の汚《よご》れて破れたのも、表から来る人の眼にみなうつった。校長の室《へや》には学校管理法や心理学や教育時論の赤い表紙などが見えた。
「君にはほんとうに気の毒でした。実はまだ手筈《てはず》だけで、表向《おもてむ》きにしなかったものだからねえ……」
と言って、細君の運《はこ》んで来た茶を一杯ついで出して、「君もご存じかもしれないが、平田というあの年の老《よ》った教員、あれがもう老朽でしかたがないから、転校か免職かさせようと言っていたところに、ちょうど加藤さんからそういう話があるッて岸野君が言うもんだから、それでお頼《たの》みしようッていうことにしたのでした。ところが少し貴君《あなた》のおいでが早かったものだから……」
言いかけて笑った。
「そうでしたか、少しも知りませんものでしたから……」
「それはそうですとも、貴君《あなた》は知るわけはない。岸野さんがいま少し注意してくれるといいんですけれど、あの人はああいうふうで、何事にも無頓着《むとんじゃく》ですからな」
「それじゃその教員がいたんですね?」
「ええ」
「それじゃまだ知らずにおりましたのですか」
「内々は知ってるでしょうけれど……表向きはまだ発表してないんです。二三日のうちにはすっかり村会で決《き》めてしまうつもりですから、来週からは出ていただけると思いますが……」こう言って、少しとぎれて、
「私のほうの学校はみんないい方ばかりで、万事《ばんじ》すべて円《まる》くいっていますから、始めて来た方にも勤めいいです。貴下《あなた》も一つ大いに奮発していただきたい。俸給もそのうちにはだんだんどうかなりますから……」
煙草《たばこ》を一服吸ってトンとたたいて、
「貴下はまだ正教員の免状は持っていないんですね?」
「ええ」
「じゃ一つ、取っておくほうが、万事|都合《つごう》がいいですな。中学の証明があれば、実科を少しやればわけはありゃしないから……教授法はちっとは読みましたか」
「少しは読んでみましたけれど、どうもおもしろくなくって困るんです」
「どうも教授法も実地に当たってみなくってはおもしろくないものです。やってみると、これでなかなか味が出てくるもんですがな」
学校教授法の実験に興味《きょうみ》を持つ人間と、詩や歌にあくがれている青年とがこうして長く相対《あいたい》してすわった。点心《ちゃうけ》には大きい塩煎餅《しおせんべい》が五六枚盆
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