の黒くなったのが見えた。書箱《ほんばこ》には洋書がいっぱい入れられてある。
主僧はめずらしく調子づいて話した。今の文壇のふまじめと党閥の弊《へい》とを説《と》いて、「とても東京にいても勉強などはできない。田園生活などという声の聞こえるのももっともなことです」などと言った。風采はあがらぬが、言葉に一種の熱があって、若い人たちの胸をそそった。
詩の話から小説の話、戯曲の話、それが容易につきようとはしなかった。明星派の詩歌の話も出た。主僧もやはり晶子の歌を賞揚《しょうよう》していた。「そうですとも、言葉などをあまりやかましく言う必要はないです、新しい思想を盛るにはやはり新しい文字の排列も必要ですとも……」こう言って林の説に同意した。
ふと理想ということが話題にのぼったが、これが出ると主僧の顔はにわかに生々した色をつけてきた。主僧の早稲田に通って勉強した時代は紅葉《こうよう》露伴《ろはん》の時代であった。いわゆる「文学界」の感情派の人々とも往来した。ハイネの詩を愛読する大学生とも親しかった。麻布の曹洞宗《そうとうしゅう》の大学林から早稲田の自由な文学社会にはいったかれには、冬枯れの山から
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