台があった。湯気の白くいっぱいにこもった中に、箱洋燈《はこらんぷ》がボンヤリと暗くついていて、筧《とい》から落ちる上がり水の音が高く聞こえた。湯殿《ゆどの》は掃除が行き届かぬので、気味悪くヌラヌラと滑《すべ》る。清三は湯につかりながら、自分の新しい生活を思い浮かべた。

       十

 ある朝、授業を始める前に、清三は卓《テーブル》の前に立って、まじめな調子で生徒に言った。
「今日は皆さんにおめでたいことを一つお知らせ致します。皇太子妃殿下|節子姫《さだこひめ》には去る二十九日、新たに親王殿下をやすやすとご分娩《ぶんべん》あそばされました。これは皆さんも新聞紙上でお父様やお母様からすでにお聞きなされたことと存じます。皇室の御栄《おんさか》えあらせらるることは、われわれ国民にとってまことに喜びにたえませんことで、千秋万歳《せんしゅうばんざい》、皆さんの毎日お歌いになる君が代の唱歌にもさざれ石の巌《いわお》となりて苔《こけ》のむすまでと申してございます通りであります。しかるに、一昨日その親王殿下のご命名式がございまして、迪宮殿下《みちのみやでんか》裕仁親王《ひろひとしんのう》と名告《
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