われた。かれは一首ごとに一|頁《ページ》ごとに本を伏せて、わいて来る思いを味わうべく余儀なくされた。この瞬間には昨夜役場に寝たわびしさも、弥勒《みろく》から羽生《はにゅう》まで雨にそぼぬれて来た辛《つら》さもまったく忘れていた。ふと石川と今夜議論をしたことを思い出した。あんな粗《あら》い感情で文学などをやる気が知れぬと思った。それに引きかえて、自分の感情のかくあざやかに新しい思潮に触れ得るのをわれとみずから感謝した。渋谷の淋《さび》しい奥に住んでいる詩人夫妻の佗《わ》び住居《ずまい》のことなどをも想像してみた。なんだか悲しいようにもあれば、うらやましいようにもある。かれは歌を読むのをやめて、体裁《ていさい》から、組み方から、表紙の絵から、すべて新しい匂いに満たされたその雑誌にあこがれ渡った。
時計が二時を打っても、かれはまだ床の中に眼を大きくあいていた。鼠《ねずみ》の天井を渡る音が騒がしく聞こえた。
雨は降ったりはれたりしていた。人の心を他界に誘うようにザッとさびしく降って通るかと思うと、びしょびしょと雨滴《あまだ》れの音が軒の樋《とい》をつたって落ちた。
いつまであこがれていた
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