願ふ」と書いて、机の上に打《う》っ伏《ぷ》したことを思い出した。
 それから十日ほどたって、二人はその女の家を出て、士族屋敷《しぞくやしき》のさびしい暗い夜道《よみち》を通った。その日は女はいなかった。女は浦和に師範《しはん》学校の入学試験を受けに行っていた。
「どんなことでも人の力をつくせば、できないことはないとは思うけれど……僕は先天的にそういう資格がないんだからねえ」
「そんなことはないさ」
「でもねえ……」
「弱いことを言うもんじゃないよ」
「君のようだといいけれど……」
「僕がどうしたッていうんだ?」
「僕は君などと違ってラヴなどのできる柄《がら》じゃないからな」
 清三は郁治をいろいろに慰《なぐさ》めた。清三は友を憫《あわれ》みまた己《おのれ》を憫んだ。
 いろいろな顔と事件とが眼にうつっては消えうつっては消えた。路には榛《はん》のまばらな並木やら、庚申塚《こうしんづか》やら、畠《はた》やら、百姓家やらが車の進むままに送り迎えた。馬車が一台、あとから来て、砂煙《すなけむり》を立てて追《お》い越《こ》して行った。
 郁治の父親は郡視学であった。郁治の妹が二人、雪子は十七、しげ
前へ 次へ
全349ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田山 花袋 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング