どうせ、先生は学費になんか困らんのだから、どうでも好きにできるだろう」
「この町からも東京に行くものはあるかね?」
「そう」と郁治は考えて「佐藤は行くようなことを言っていたよ」
「どういう方面に?」
「工業学校にはいるつもりらしい」
同窓に関する話がつきずに出た。清三の身にしては、将来の方針を定めて、てんでに出たい方面に出て行く友だちがこのうえもなくうらやましかった。中学校にいるうちから、卒業してあとの境遇をあらかじめ想像せぬでもなかったが、その時はまたその時で、思わぬ運が思わぬところから向いて来ないとも限らないと、しいて心を安んじていた。けれどそれは空想であった。家庭の餓《うえ》は日に日にその身を実際生活に近づけて行った。
かれはまた母親から優《やさ》しい温かい血をうけついでいた。幼い時から小波《さざなみ》のおじさんのお伽噺《とぎばなし》を読み、小説や歌や俳句に若い思いをわかしていた。体《からだ》の発達するにつれて、心は燃えたり冷えたりした。町の若い娘たちの眼色《めつき》をも読み得るようにもなった。恋の味もいつか覚えた。あるデザイアに促されて、人知れず汚ない業をすることもあった。
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