懸命で集めた歌曲の譜もまったく徒労《とろう》に属《ぞく》したのである。かれは初歩の試験にまず失敗した。顔を真赤にした自分の小さなあわれな姿がいたずらに試験官の笑いをかったのがまだ眼の前にちらついて見えるようであった。「だめ! だめ!」と独《ひと》りで言ってかれは頭《かしら》を振った。
 公園のロハ台は木の影で涼しかった。風がおりおり心地よく吹いて通った。かれは心を静めるためにそこに横になった。向こうには縁台に赤い毛布《けっと》を敷いたのがいくつとなく並んで、赤い襷《たすき》であやどった若い女のメリンスの帯が見える。中年増《ちゅうどしま》の姿もくっきりと見える。赤い地に氷という字を白く抜いた旗がチラチラする。
 動物園の前には一|輌《りょう》の馬車が待っていた。白いハッピを着た御者《ぎょしゃ》はブラブラしていた、出札所《しゅっさつしょ》には田舎者らしい二人づれが大きな財布から銭《ぜに》を出して札を買っていた。
 東京に出たのは初めてである。試験をすましたら、動物園も見よう、博物館にもはいろう、ひととおり市中《しちゅう》の見物もしよう、お茶の水の寄宿舎に小畑や郁治をも訪ねよう、こういろいろ
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