て、譜をつけてそこにやることにした。
 かれは夕暮れなど校庭を歩きながら、この自作の歌を低い声で歌った、「低くしらぶる春の歌」と歌うと、つくづく自分のさびしいはかない境遇が眼の前に浮かび出すような気がして涙が流れた。
 このごろ、友だちから手紙の来るのも少なくなった。熊谷の小畑にも、この間行った時、処世上の意見が合わないので、議論をしたが、それからだいぶうとうとしく暮らした。郁治から来る手紙には美穂子のことがきっと書いてあるので、返事を書く気にもならなかった。それに引きかえて、弥勒《みろく》の人々にはだいぶ懇意になった。このころでは、どこの家《いえ》に行っても、先生先生と立てられぬところはない。それに、同僚の中でも、師範校出のきざな意地の悪い教員が加須《かぞ》に行ってしまったので、気のおける人がなくなって、学校の空気がしっくり自分に合って来た。
 物日《ものび》の休みにも、日曜日にも、たいてい宿直室でくらした。利根川を越えて一里ばかり、高取《たかとり》というところに天満宮があって、三月初旬の大祭には、近在から境内《けいだい》に立錐《りっすい》の地もないほど人々が参詣した。清三も昔一度行
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