《こんじき》の色弱し。木犀《もくせい》の衰へたる香《におい》かすかに匂ふ。夜、新聞を見、行田への荷物包む。星かくれて、銀杏《いちょう》の実落つること繁し。栗の林に野分《のわき》たちて、庫裡《くり》の奥庭に一葉ちるもさびしく、風の音にコホロギの声寒し。
十日。
朝、行田に蚊帳《かや》を送り、夕方着物を受け取る。小畑より久しぶりにて同情の手紙を得たり。曰く「この秋の君の心! 思へばありしことども思ひ偲ばる。『去年《こぞ》冬の、今年の春!』といふ君が言葉にも千万無量の感湧き出《い》でて、心は遠く成願寺のあたり」云々。夜、星清くすんで南に低く飛ぶもの二つ、小畑に返事を書く。曰く、「愚痴《ぐち》はもうやめた。言ふまい、語るまい、一人にて泣き、一人にてもだえん。」
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清三はこのごろの日記の去年の冬、今年の春にくらべて、いかにその調子が変わったかを考えざるを得なかった。去年の冬はまだ世の中はこうしたものだとは知らなかった。美しいはでやかな希望も前途に輝いていた。歌留多《かるた》を取っても、ボールを投げてもおもしろかった。親しい友だちの胸に利己のさびしい影を認めるほど眼も心も
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