ば、自分もこうなってしまうんだ!」
 この考えはすでにいく度となくかれの頭を悩ました。これを考えると、いつも胸が痛くなる。いてもたってもいられないような気がする。小さい家庭の係累《けいるい》などのためにこの若い燃ゆる心を犠牲にするには忍びないと思う。この間も郁治と論じた。「えらい人はえらくなるがいい。世の中には百姓もあれば、郵便脚夫もある。巡査もあれば下駄の歯入《はい》れ屋もある。えらくならんから生きていられないということはない。人生はわれわれの考えているようなせっぱつまったものではない。もっと楽に平和に渡って行かれるものだ。うそと思うなら、世の中を見たまえ。世の中を……」こう言って清三は友の巧名心を駁《ばく》した。けれどその言葉の陰にはまるでこれと正反対の心がかくれていた。それだけかれは激していた。かれは泣きたかった。
 それを今思い出した。「自分も世の中の多くの人のように、暢気《のんき》なことを言って暮らして行くようになるのか」と思って、校長の平凡な赤い顔を見た。
 つい麦酒《びいる》を五六杯あおった。
 青い田の中を蝙蝠傘《こうもりがさ》をさした人が通る、それは町の裏通りで、そこ
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