私は東京にいるころには、つくづくそれがいやになったんですよ。人の弱点を利用したり、朋党《ほうとう》を作って人をおとしいれたり、一歩でも人の先に出よう出ようとのみあくせくしている。実にあさましく感じたですよ。世の中は好《い》いが好いじゃない、悪いが悪いじゃない、幸福が幸福じゃない。どんな人でもやっぱり人間は人間で、それ相応の安慰《あんい》と幸福とはある。それに価値もある。何も名誉をおって、一生をあくせく暮らすには当たらない。それよりも、人間としての理想のライフを送るほうがどれほど人間としてえらいかしれない。どんなに零落《れいらく》して死んでもそのほうが意味がありますからなア」
「ほんとうにそうですとも」
 清三は主僧の言葉に引き込まれるような気がした。
「不幸福《ふしあわせ》な人だった!」
 と主僧は思わず感激して独《ひと》り言《ごと》のように言った。得意なる地位を知ってるだけそれだけ、その背景が悲しかった。平生《へいぜい》戯談《じょうだん》ばかり言う男で、軽い皮肉をつねに人に浴びせかけた。まだ三十四五であったが、世の中の辛酸《しんさん》をなめつくして、その圭角《けいかく》がなくなって、
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