《かど》から、例の溝《みぞ》に沿った道を寺へと進んだ。
溝《どぶ》のさびた水が動いて行く提灯の光にかすかに見えた。おおいかぶさった木の葉裏《はうら》が明るく照らされたり消えたりした。路傍の草にも、畠にも、藪にも虫の音はたえず聞こえる。一行は歩むにつれてバタバタと足音を立てる。誰も口をきくものはなかった。
寺の本堂は明《あ》け放《はな》されて、如来様《にょらいさま》の前に供えられた裸蝋燭《はだかろうそく》の夜風にチラチラするのが遠くから見えた。やがて棺はかつき上げられて、読経《どきょう》が始まった。
丈の低い小僧はそれでも僧衣《ころも》を着て、払子《ほっす》を持った。一行の携《たずさ》えて来た提灯は灯《ひ》をつけられたまま、人々の並んだ後ろの障子の桟《さん》に引っかけられてある。広い本堂は蝋燭の立てられてあるにかかわらずなんとなく薄暗かった。父親の禿頭《はげあたま》と荻生さんの白地の単衣《ひとえもの》がかすかにその中にすかされて見える。読経の声には重々しいところがなかった。いやにさえ走ったような調子であった。鉦《かね》がけたたましい音を立てて鳴る。
「ここでこうして林君のおとむらいをしようとは夢にも思いがけなかった」
荻生さんは菓子の竹皮包みを懐《ふところ》に入れてよく昼寝にここに来たころのことを思い出して、こう心の中に言った。
式がすんで、階段から父親がおりると、そこに寺のかみさんが立っていて、
「このたびはまア……とんでもないことで……それにお悔《くや》みにもまだ上がりもいたしませんで……あいにく宿《やど》で留守《るす》なものですから」
と、きれぎれの挨拶をした。
夜はもう薄ら寒かった。単衣《ひとえ》一枚では肌《はだ》がなんとなくヒヤヒヤする。棺はやがて人足《にんそく》にかつがれて、墓地へと運ばれて行く。
選ばれたのは、畠と寺とを劃《かぎ》った榛《はん》の木に近いところであった。ひょろ長い並木の影が夜の闇の中にかすかにそれと指さされる。垣の外にいたずらにのびた桑の広葉がガサガサと夜風になびく。
穴は型のごとく掘ってあった。赤土と水が出て、あたりは踏《ふ》み立てられぬほど路がわるかった。組合の男はいち早く草履《ぞうり》を踏《ふ》み込んで、買いたての白足袋を散々にしたと言っている。穴掘り男は頭髪《かみのけ》まで赤土だらけにしながら、「どうも水が多くって、かい出してもかい出しても出て来るので、困ったちゃねえだ!」などと言った。
父親は提灯を振りかざして、穴をのぞいてみた。穴の底の赤く濁《にご》った水が提灯にチラチラうつった。
荻生さんものぞいてみた。
やがて棺が穴に下ろされる。土塊《つちくれ》のバタバタと棺に当たる音がする。時の間に墓は築かれて小僧の僧衣《ころも》姿が黒くその前に立ったと思うと、例の調子はずれの読経《どきょう》が始まった。暗い闇の中の提灯は、木槿垣《もくげがき》を背にして立った荻生さんの蒼白い顔と父親の禿頭《はげあたま》とそのほかの群れのまるく並んでいるのをかすかに照らした。
六十四
一年ほどして、そこに自然石《じねんせき》の石碑が建てられた。表には林清三君之墓、下に辱知有志《じょくちゆうし》と刻《きざ》んであった。荻生さんと郁治《いくじ》とが奔走して建てたので、その醵金者《きょきんしゃ》の中には美穂子も雪子もしげ子もあった。
一人息子《ひとりむすこ》を失った母親は一時はほとんど生《い》きがいもないようにまで思ったが、しかしそう悔んで嘆いてばかりもいられなかった。かれらは老いてもなお独《ひと》り働いて食わなければならなかった。母親は息子の死んだ六畳でせっせと裁縫の針を動かした。父親の禿頭はやはりその街道におりおり見られた。
墓にはたえず花が手向《たむ》けられた。花好《はなず》きの母親はその節ごとに花を携《たずさ》えて来てはつねにその前に供えた。荻生さんも羽生の局に勤めている間はよく墓参りをした。ある秋の日、和尚さんは、廂髪《ひさしがみ》に結《ゆ》って、矢絣《やがすり》の紬《つむぎ》に海老茶《えびちゃ》の袴《はかま》をはいた女学生ふうの娘が、野菊や山菊など一束にしたのを持って、寺の庫裡《くり》に手桶を借りに来て、手ずから前の水草の茂った井戸で水を汲んで、林さんの墓のありかを聞いて、その前で人目も忘れて久しく泣いていたということをかみさんから聞いた。
「どこの娘だか」
などとその時かみさんが言った。
ところがそれから二年ほどして、その墓参りをした娘が羽生の小学校の女教員をしているという話を聞いた。
「あの娘は林さんが弥勒《みろく》で教えた生徒だとサ」とかみさんはどこかで聞いて来て和尚さんに話した。
秋の末になると、いつも赤城《あかぎ》おろしが吹きわたって、寺の裏の森
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