四十九
梅雨《さみだれ》の中に一日カッと晴れた日があった。薄い灰色の中からあざやかな青い空が見えて、光線がみなぎるように青葉に照った。行田からの帰《かえ》り途《みち》、長野の常行寺《じょうこうじ》の前まで来ると、何かことがあるとみえて、山門の前には人が多く集まって、がやがやと話している。小学校の生徒の列も見えた。
青葉の中から白い旗がなびいた。
戦死者の葬式があるのだということがやがてわかった。清三は山門の中にはいってみた。白い旗には近衛《このえ》歩兵第二連隊一等卒白井倉之助之霊と書いてあった。五月十日の戦いに、靉河《あいが》の右岸《うがん》で戦死したのだという。フロックコートを着た知事代理や、制服を着けた警部長や、羽織袴《はおりはかま》の村長などがみな会葬した。村の世話役があっちこっちに忙しそうにそこらを歩いている。
遺骨をおさめた棺は白い布で巻かれて本堂にすえられてあった。ちょうど主僧のお経がすんで知事代理が祭文《さいもん》を読むところであった。その太いさびた声が一しきり広い本堂に響きわたった。やがてそれに続いて小学校の校長の祭文がすむと、今度は戦死者の親友であったという教員が、奉書に書いた祭文を高く捧げて、ふるえるような声で読み始めた。その声は時々絶えてまた続いた。嗚咽《おえつ》する声があっちこっちから起こった。
柩《ひつぎ》が墓に運ばれる時、広場に集まった生徒は両側に列を正して、整然としてこれを見送った。それを見ると、清三はたまらなく悲しくなった。軍司令部といっしょに原杏花が出発する時、小学校の生徒が両側に整列して、万歳を唱《とな》えた。その時かれは「爾《なんじ》、幼き第二の国民よ、国家の将来はかかって汝《なんじ》らの双肩《そうけん》にあるのである。健在なれ、汝ら幼き第二の国民よ」と心中に絶叫したと書いてある。その時ほど熱い涙が胸に迫ったことはなかったと書いてある。清三も今そうした思いに胸がいっぱいになった。幼い第二の国民に柩《ひつぎ》を送られる一戦死者の霊――
砲煙のみなぎった野に最後の苦痛をあじわって冷たく横たわった一|兵卒《ぺいそつ》の姿と、こうした梅雨晴《つゆば》れのあざやかな故郷の日光のもとに悲しく営まれる葬式のさまとがいっしょになって清三の眼の前を通った。
「どうせ人は一度は死ぬんだ」
こう思ったかれの頬《ほお》には涙がこぼれた。
かれはいつか寺を出て、例の街道を歩いていた。光線はキラキラした。青葉と青空の雲の影とが野の上にあった。
二三日前からしきりに報ぜられる壱岐沖《いきおき》の常陸丸遭難《ひたちまるそうなん》と得利寺《とくりじ》における陸軍の戦捷《せんしょう》とがくり返しくり返し思い出される。初瀬《はつせ》吉野《よしの》宮古《みやこ》の沈没などをも考えて、「はたして最後の勝利を占めることができるだろうか」という不安の念も起こった。
野にとうご草があるのを見て、それをとった。そばにある名を知らぬ赤い草花は学校の花壇に植えようと思って、根から掘って紙に包み、汚れた手をみそはぎの茂る小川で洗った。ふと一昨日浦和のひで子から来た手紙を思い出して、考えはそれに移る。羽生に移転してからの新家庭に、そのあきらかな笑顔を得たならば、いかに幸福であろうと思った。かれはこのごろひで子を自分の家庭にひきつけて考えることが多くなった。
羽生町の入り口では、東武鉄道の線路人夫がしきりに開通工事に忙しがっていたが、そのそばの藁葺家《わらぶきや》には、色のさめた国旗がヒラヒラと日に光った。
五十
羽生に移転する前日の日記に、かれはこう書いた。
「二十六年|故山《こざん》を出でて、熊谷の桜に近く住むこと数年、三十三年にはここ忍沼《おしぬま》のほとりに移りてより、また数年を出でずして蝸牛《ででむし》のそれのごとく、またも重からぬ殻《から》を負《お》ひて、利根河畔《とねかはん》羽生に移らんとす。奇《く》しきは運命のそれよ、おもしろきは人生のそれよ、回顧一番、笑って昔古びたる城下の緑を出でて去らんのみ。歴史の章はかくのごとく、またかくのごとくして改められん」
羽生の大通りをちょっと裏にはいったところにその貸屋があった。探してくれたのは荻生さんで、持主は二三年前まで、通りで商売をしていた五十ばかりの気のよさそうな人であった。下が六畳に四畳半、二階が六畳、前に小さな庭があって、そこに丈《せい》の低い柿の木が繁っていた。家賃が二円五十銭、敷金が三月分あるのだが、荻生さんのお友だちならそれはなくってもよいという。父親も得意回りのついでに寄ってみて、「まア、あれならいい!」と賛成した。
一週間の農繁休暇を利用して、いよいよ移転することになった。平生《へいぜい》親しくした友だちは多くは離散して、そ
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