な細い雨がはすに降りかかった。隣には蚕《かいこ》の仲買《なかが》いをする人が住んでいて、その時節になると、狭い座敷から台所、茶の間、入り口まで、白い繭《まゆ》でいっぱいになって、朝から晩までごたごたと人が出はいりするのが例であるが、今は建《た》てつけの悪い障子がびっしゃりと閉《しま》って、あたりがしんとしていた。
清三は大和障子をがらりとあけて中にはいった。
年のころ四十ぐらいの品のいい丸髷《まるまげ》に結《ゆ》った母親が、裁物板《たちものいた》を前に、あたりに鋏《はさみ》、糸巻き、針箱などを散らかして、せっせと賃仕事をしていたが、障子があいて、子息《せがれ》の顔がそこにあらわれると、
「まア、清三かい」
と呼んで立って来た。
「まア、雨が降ってたいへんだったねえ!」
ぬれそぼちた袖やら、はねのあがった袴《はかま》などをすぐ見てとったが、言葉をついで、
「あいにくだッたねえ、お前。昨日の工合いでは、こんな天気になろうとは思わなかったのに……ずっと歩いて来たのかえ」
「歩いて来《こ》ようと思ったけれど、新郷《しんごう》に安いかえり車があったから乗って来た」
見なれぬ足駄《あしだ》をはいているのを見て、
「どこから借りて来たえ、足駄《あしだ》を?」
「峰田《みねだ》で」
「そうかえ、峰田で借りて来たのかえ……。ほんとうにたいへんだったねえ」こう言って、雑巾《ぞうきん》を勝手から持って来ようとすると、
「雑巾ではだめだよ。母《おっか》さん。バケツに水を汲んでくださいな」
「そんなに汚れているかえ」
と言いながら勝手からバケツに水を半分ほど汲んで来る。
乾いた手拭《てぬぐ》いをもそこに出した。
清三はきれいに足を洗って、手拭いで拭いて上にあがった。母親はその間に、結城縞《ゆうきじま》の綿入れと、自分の紬《つむぎ》の衣服《きもの》を縫い直した羽織とをそろえてそこに出して、脱いだ羽織と袴《はかま》とを手ばしこく衣紋竹《えもんだけ》にかける。
二人はやがて長火鉢の前にすわった。
「どうだったえ?」
母親は鉄瓶《てつびん》の下に火をあらけながら、心にかかるその様子《ようす》をきく。
かいつまんで清三が話すと、
「そうだってねえ、手紙が今朝着いたよ。どうしてそんな不都合なことになっていたんだろうねえ」
「なあに、少し早く行き過ぎたのさ」
「それで、話はどうきまったえ?」
「来週から出ることになった」
「それはよかったねえ」
喜びの色が母親の顔にのぼった。
それからそれへと話は続いた。校長さんはどういう人だの、やさしそうな人かどうかの、弥勒《みろく》という所はどんなところかの、下宿するよいところがあったかのと、いろいろなことを持ち出して母親は聞いた。清三はいちいちそれを話して聞かせた。
「お父《とっ》さんは?」
しばらくして、清三がこうきいた。
「ちょっと下忍《しもおし》まで行ッて来るッて出かけて行ったよ。どうしても少しお銭《あし》をこしらえて来なくってはッてね……。雨が降るから、明日《あした》にしたらいいだろうと言ったんだけれど……」
清三は黙ってしまった。貧しい自分の家のことがいまさらに頭脳《あたま》にくり返される。父親の働きのないことがはがゆいようにも思われるが、いっぽうにはまた、好人物《こうじんぶつ》で、善人で、人にだまされやすい弱い鈍い性質を持っていながら、贋物《にせもの》の書画《しょが》を人にはめることを職業にしているということにはなはだしく不快を感じた。正直なかれの心には、父親の職業は人間のすべき正業ではないようにつねに考えられているのである。
だまされさえしなければ、今でも相応《そうおう》な呉服屋の店を持っていられたのである。こう思うと、何も知らぬ母親に対する同情とともに、正業でない職業とはいいながら、こうした雨の降る日に、わずか五十銭か一円の銭で、一里もあるところに出かけて行く老いた父親を気の毒に思った。
やがて鉄瓶《てつびん》がチンチン音を立て始めた。
母親は古い茶箪笥《ちゃだんす》から茶のはいった罐《かん》と急須《きゅうす》とを取った。茶はもう粉《こ》になっていた。火鉢の抽斗《ひきだ》しの紙袋には塩煎餅《しおせんべい》が二枚しか残っていなかった。
清三は夕暮れ近くまで、母親の裁縫《しごと》するかたわらの暗い窓の下で、熊谷《くまがや》にいる同窓の友に手紙を書いたり、新聞を読んだりしていた。友の手紙には恋のことやら詩のことやら明星《みょうじょう》派の歌のことやら我ながら若々しいと思うようなことを罫紙《けいし》に二枚も三枚も書いた。
四時ごろから雨ははれた。路はまだグシャグシャしている。父親が不成功で帰って来たので、家庭の空気がなんとなく重々しく、親子三人黙って夕飯を食《く》っていると、「ご
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