るような大きなのも二つ三つはあった。薄くこげるくらいに焼いて、それを藁《わら》にさした。
「ずいぶんあるもんだね」と数えてみて、「十九|串《くし》ある」
「やすかっただ、校長さん負けさせる名人だ。これくらいの鮒で六っていう値があるもんかな」
 小使はそばから言った。
 試みに煮てみようと言うので、五串ばかり小鍋に入れて、焜爐《こんろ》にかけた。寝る時|味《あじ》わってみたが骨はまだ固《かた》かった。
 自炊生活は清三にとって、けっきょく気楽でもあり経済でもあった。多くは豆腐と油揚げと乾鮭《からざけ》とで日を送った。鮒の甘露煮は二度目に煮た時から成功した。砂糖をあまり使い過ぎたので、分けてやった小使は「林さんの甘露煮は菓子を食うようだア」と言った。生徒は時々萩の餅やアンビ餅などを持って来てくれる。もろこしと糯米《もちごめ》の粉《こ》で製したという餡餅《あんころ》などをも持って来てくれる。どうかして勉強したい。田舎《いなか》にいて勉強するのも東京に出て勉強するのも心持ち一つで同じことだ。学費を親から出してもらう友だちにも負けぬように学問したいと思って、心理学や倫理学などをせっせと読んだが、余儀なき依頼で、高等の生徒に英語を教えてやったのが始まりで、だんだんナショナルの一や二を持って教《おそ》わりに来るものが多くなって、のちには、こう閑《ひま》をつぶされてはならないと思いながら、夜はたいてい宿直室に生徒が集まるようになった。
 二月の末には梅が咲き初《そ》めた。障子をあけると、竹藪《たけやぶ》の中に花が見えて、風につれていい匂いがする。
 一日《あるひ》、かれは机に向かって、
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鄙《ひな》はさびしきこの里に
  さきて出《い》でにし白梅や、
一|枝《え》いだきてただ一人
  低くしらぶる春の歌、
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 と歌って、それを手帳に書いた。淋しい思いが脈々として胸に上《のぼ》った。ふとそばに古い中学世界に梅の絵に鄙少女《ひなおとめ》を描いた絵葉書のあるのを発見した。かれはそれを手に取ってその歌を書いて、「都を知らぬ鄙少女」と署《しょ》して、さてそれを浦和の美穂子のもとに送ろうと思った。けれど監督の厳重な寄宿舎のことを思ってよした。ふと美穂子の姉にいく子というのがあって、音楽が好きで、その身も二三度手紙をやり取りしたことがあるのを思い出して、譜をつけてそこにやることにした。
 かれは夕暮れなど校庭を歩きながら、この自作の歌を低い声で歌った、「低くしらぶる春の歌」と歌うと、つくづく自分のさびしいはかない境遇が眼の前に浮かび出すような気がして涙が流れた。
 このごろ、友だちから手紙の来るのも少なくなった。熊谷の小畑にも、この間行った時、処世上の意見が合わないので、議論をしたが、それからだいぶうとうとしく暮らした。郁治から来る手紙には美穂子のことがきっと書いてあるので、返事を書く気にもならなかった。それに引きかえて、弥勒《みろく》の人々にはだいぶ懇意になった。このころでは、どこの家《いえ》に行っても、先生先生と立てられぬところはない。それに、同僚の中でも、師範校出のきざな意地の悪い教員が加須《かぞ》に行ってしまったので、気のおける人がなくなって、学校の空気がしっくり自分に合って来た。
 物日《ものび》の休みにも、日曜日にも、たいてい宿直室でくらした。利根川を越えて一里ばかり、高取《たかとり》というところに天満宮があって、三月初旬の大祭には、近在から境内《けいだい》に立錐《りっすい》の地もないほど人々が参詣した。清三も昔一度行ってみたことがある。見世物、露店《ろてん》――鰐口《わにぐち》の音がたえず聞こえた。ことに、手習《てなら》いが上手になるようにと親がよく子供をつれて行くので、その日は毎年学校が休みになる。午後清三が宿直室で手紙を書いていると、参詣に行った生徒が二組三組寄って行った。

       二十九

 発戸《ほっと》には機屋《はたや》がたくさんあった。市《いち》ごとに百|反《たん》以上町に持って出る家がすくなくとも七八軒はある。もちろん機屋といっても軒をつらねて部落をなしているわけではない。ちょっと見ると、普通の農家とはあまり違っていない。蠶豆《そらまめ》、莢豌豆《さやえんどう》の畑がまわりを取り巻いていて、夏は茄子《なすび》や胡瓜《きゅうり》がそこら一面にできる。玉蜀黍《とうもろこし》の広葉《ひろば》もガサガサと風になびく。
 けれど家の中にはいると、様子がだいぶ違う、藍瓶《あいがめ》が幾つとなく入り口の向こうにあって、そこに染工職人がせっせと糸を染めている。白い糸が山のように積んであると、そのそばで雇《やと》い人《にん》がしきりにそれを選《え》り分けている。反物《たんもの》を入れる大きな戸
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