えこんだッてなア」
「ほんにさア、今朝行く時、己《おら》アでっくわしただアよ、網イ持って行くから、この寒いのに日振《ひぶ》りに行くけえ、ご苦労なこっちゃなアッて挨拶しただアよ。わからねえもんただよなア」
「どうしてまアそんなことになったんだんべい?」
「ほんにさ、あすこは掘切《ほっきり》で、なんでもねえところだがなア」
「いったいどこだな」
「そら、あの西の勘三さんの田ン中の掘切で死《ご》ねていたんだッてよ。泥深い中に体《からだ》が半分《はんぶん》突っささったまま、首イこうたれてつめたくなったんだッてよ」
「あっけねえこんだなア」
「今日ははア、御賽日《おさいにち》だッてに。これもはア、そういう縁を持って生まれて来たんだんべい」
「わしらもはア、この春《はる》ア、日振《ひぶ》りなんぞはよすべいよ」
湯気《ゆげ》の籠《こも》った狭《せま》い銭湯の中で、村の人々はこうした噂《うわさ》をした。喜平というのは、村はずれの小屋に住んでいる、五十ばかりの爺《おやじ》で、雑魚《ざこ》や鰌《どじょう》を捕えては、それを売って、その日その日の口をぬらしていた。毎日のように汚ないふうをして、古いつくろった網をかついで、川やら掘切《ほっきり》やらに出かけて行った。途中で学校の先生や村役場の人などにでっくわすと、いつもていねいに辞儀《じぎ》をした。それが今日掘切の中でこごえて死んでいたという。清三は湯につかりながら、村の人々のさまざまに噂《うわさ》し合うのを聞いていた。こうして生まれて生きて死んで行く人をこうして噂し合っている村の人々のことを考えずにはいられなかった。古網《ふるあみ》を張ったまま、泥の中にこごえた体を立てて死んでいた爺《おやじ》のさまをも想像した。茫《ぼう》とした湯気の中に水槽《みずおけ》に落ちる水の音が聞こえた。
二十八
授業もすみ、同僚もおおかた帰って、校長と二人で宿直室で話していると、そこに、雑魚《ざっこ》売りがやって来た。
「旦那、鮒《ふな》をやすく買わんけい」
障子《しょうじ》をあけると、にこにこした爺が、※[#「竹かんむり/令」、第3水準1−89−59]※[#「竹かんむり/省」、第4水準2−83−57]《びく》をそこに置いて立っていた。
「鮒はいらんなア」
「やすく負けておくで、買ってくんなせい」
校長さんは清三を顧《かえり》みて、「君はいりませんか、やすけりゃ少し買って甘露煮《かんろに》にしておくといいがね」と言った。で、二人は縁側に出てみた。
二つの※[#「竹かんむり/令」、第3水準1−89−59]※[#「竹かんむり/省」、第4水準2−83−57]《びく》には、五寸ぐらいから三寸ぐらいの鮒が金色《こんじき》の腹を光らせてゴチャゴチャしている。
「少し小さいな」
と校長さんは言った。
「小さいどころか、甘露煮にするにはこのくらいがごく[#「ごく」に傍点]だアな。それに、板倉《いたくら》で取れたんだで、骨は柔《やわ》らけい」
種類としては質《たち》のいい鮒《ふな》なのを校長はすぐ見てとった。利根川《とねがわ》を渡って一里、そこに板倉沼というのがある。沼のほとりに雷電《らいでん》を祭った神社がある。そこらあたりは利根川の河床《かわぞこ》よりも低い卑湿地《ひしっち》で、小さい沼が一面にあった。上州《じょうしゅう》から来る鮒や雑魚《ざっこ》のうまいのは、ここらでも評判だ。
「幾がけだね?」
「七なら高くはねえと思うんだが」
「七は高い!」
「目方をよくしておくだで七で買ってくんなせい」
「五ぐらいならいいが」
「五なんてそんな値はねえだ。じゃいま半分引くべい」
清三は校長さんの物を買うのに上手なのを笑って見ていた。六がけで話が決《き》まって、小使がそこに桶《おけ》と摺《す》り鉢《ばち》とを運んで来た。ピンとするほどはかりをまけた鮒はヒクヒクと鰓《あぎと》を動かしている。爺《おやじ》はやがて[#「やがて」は底本では「やがで」]銭《ぜに》を受け取って軽くなった※[#「竹かんむり/令」、第3水準1−89−59]※[#「竹かんむり/省」、第4水準2−83−57]《びく》をかついで帰って行く。
「やすい、やすい。これを煮ておきゃ、君、十日もありますよ」
こう言って校長さんは、鮒の中でも大きいのを一尾つかんで、「どうも、上州の鮒はいい、コケがまるでこっちで取れたのとは違うんですからな」と言って清三に示した。半分に分けて、小桶に入れて、小使が校長さんの家に持って行った。
その日は鮒《ふな》の料理に暮れた。俎板《まないた》の上でコケを取って、金串《かなぐし》にそれをさして、囲爐裏《いろり》に火を起こして焼いた。小使はそのそばでせっせと草鞋《わらじ》を造っている。一|疋《ぴき》で金串がまったく占《し》められ
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