来ると、ふとすれ違《ちが》った人が、
「赤城山《あかぎさん》なア、山火事だんべい」
と言って通った。
ふり返ると、暗い闇を通して、そこあたりと覚しきところにはたして火光《かこう》があざやかに照って見えた。山火事! 赤城の山火事! 関東平野に寒い寒い冬が来たという徴《しるし》であった。
今年の冬籠《ふゆごも》りのさびしさを思いながら清三は歩いた。
二十四
「林さん、……貴郎《あなた》は家《うち》の兄と美穂子さんのこと知ってて?」
雪子は笑いながらこうきいた。
「少しは知っています」
清三はやや顔を赤くして、雪子の顔を見た。
「このごろのこともご存じ?」
「このごろッて……この冬休みになってからですか」
「ええ」
雪子は笑ってみせた。
「知りません」
「そう……」
とまた笑って口をつぐんでしまった。
昨日、冬期休暇になったので、清三は新しい年を迎えるべく羽生から行田の家に来た。美穂子が三四日前に、浦和から帰って来ているということをも聞いた。今朝加藤の家を訪問したが、郁治は出ていなかった。すぐ帰りかけたのを母親と雪子が、「もう帰るでしょうから」とたって[#「たって」は底本では「てたって」]とめた。
清三は、くわしく聞きたかったが、しかしその勇気はなかった。胸がただおどった。
雪子が笑っているので、
「いったいどうしたんです?」
「どうしたっていうこともないんですけど……」
やっぱり笑っていた。やがて、
「変なことおうかがいするようですけど……貴郎《あなた》は兄と北川さんとのことで、何か思っていらっしゃることはなくって?」
「いいえ」
「じゃ、貴郎《あなた》、二人の中にはいってどうかしたッていうようなことはなくって」
「知りません」
「そう」
雪子はまた黙ってしまった。
しばらくしてから、
「私、小畑さんから変なこと言われたから、……」
「変なことッて? どんなことです」
「なんでもありませんけどもね」
話が謎《なぞ》のようでいっさい要領《ようりょう》を得なかった。
午後、とにかく北川に行ってみようと思って沼の縁《ふち》を通っていると、向こうから郁治がやって来た。
「やあ!」
「どこに行った?」
「北川へちょっと」
「僕も今行こうと思っていた」と清三はわざと快活に、「Art 先生帰っているッていうじゃないか」
「うむ」
二人はしばし黙《だま》って歩いた。
「いったいどうしたんだ?」
しばらくして清三がきいた。
「何が?」
「しらばっくれてるねえ、君は? 僕はちゃんと聞いて知ってるよ」
「何を?」
「大いに発展したッていうじゃないか」
「誰が話した?」
「ちゃんと知ってるさ!」
「誰も知ってるものはないはずだがな」と言って考えて、「ほんとうに誰が話した?」
「ちゃんと材料は上がってるさ」
「誰だろうな!」
「あててみたまえ」
少し考えて、
「わからん」
「小畑が君、君のシスタアに何か言ったことがあるかえ? 僕のことで」
「ああ、妹《いもうと》がしゃべッたんだな、彼奴《あいつ》、ばかな奴だな!」
「まア、そんなことはいいから、僕のいうことを返事しまたえ」
「何を」
「小畑が君のシスタアに何か言ったかッていうことだよ」
「知らんよ」
「知らんことはないよ、僕が君と Art の関係について、中にはいってるとかどうしたとか言ったことがあるそうだね」
「うむ、そういえばある」と郁治は思い出したというふうで、「君が北川によく行くのはどうかしたんじゃないかなんて言ったことがある」
「君のシスタアについても何か先生言いやしなかったか」
「戯談《じょうだん》は言ったかもしらんが、くわしくはよく知らん」
二人は黙って歩いた。
二十五
郁治と美穂子との「新しき発展」について、清三はいろいろとくわしく聞いた。雪子から美穂子にやる手紙の中に郁治が長い手紙を入れてやったのは一月ほど前であった。やがて郁治にあてて長い返事が来た。その返事をかれはその夜とある料理屋で酒を飲みながら清三に示した。その手紙には甘い恋の言葉がところどころにあった。郁治の手紙を寄宿舎の暗い洋燈《らんぷ》の光のもとでくり返しくり返し読んだことなどが書いてある。お互いにまだ修業中であるから、おっしゃるとおり、社会に成功するまで、かたい交際を続けたいということも書いてある。これで見ると、郁治もそんなことを言ってやったものとみえる。清三はその長い手紙を細かく読むほどの余裕はなかった。かれは飛び飛びにそれを見たが、ところどころの甘い蜜のような言葉はかれの淋しい孤独の眼の前にさながらさまざまの色彩でできた花環《はなわ》のようにちらついて見えた。酒に酔って得意になって、友のさびしい心をも知らずに、平気におのろけを言う郁治の態度が、憎
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