《こうり》などのあるそばで狭い猫の額のような庭に対して、なまりぶしの堅い煮付けでかれらは酒を飲んだり飯を食ったりした。
 帰りに、荻生君を郵便局に訪ねてみるということになったが、こんなに赤い顔で、町の大通りは歩けないというので、桑のしげった麦のなかば刈られた裏通りの田圃《たんぼ》を行った。荻生君は熊谷に行っていなかった。二人は引きかえして野を歩いた。小川には青い藻《も》が浮いて、小さな雑魚《ざこ》がスイスイ泳いでいた。
 寺に帰ると、座敷ではまだ酒を飲んでいた。騒ぐ声が嵐のように聞こえる。丈《せい》の高いほうが和尚さんの手を引っ張って、どこへかつれて行こうとする。洋服の原があとから押す。和尚さんはいつか僧衣《ころも》を着せられている。「まア、いいよ、いいよ、君らがそんなに望むなら、お経ぐらい読むさ、その代わり君らが木魚をたたかなくってはいかんぜ!」
 和尚さんも少なからず酔っていた。
「よし、よし、木魚はおれがたたく」
 と雑誌記者は言った。
 三人はよりつよられつして、足もと危く、長い廊下を本堂へとやって来る。庫裡《くり》からはかみさんと小僧とが顔を出して笑ってその酔態《すいたい》を見ている。三人は廊下から本堂にはいろうとしたが、階段のところでつまずいて、将棋倒《しょうぎだお》しにころころと折りかさなって倒れた。笑う声が盛んにした。
 雑誌記者は槌《つち》をとって木魚をたたいた。ポクポクポクポク、なかなかその調子がいい。和尚さんも原という文学者もそれを見て、「これはうまい、たたいたことがあるとみえるな」と笑った。雑誌記者は木魚をたたきながら、「それはそうとも、これで寺の小僧を三年したんだから」こう言って、トラヤアヤアヤアヤアとお経を読む真似《まね》をした。
「和尚――お経を読まなくっちゃいかんじゃないか」
 こんなことを言ってなおしきりに木魚をたたいた。
 主僧と原とは如来様《にょらいさま》の前に立ったり、古い位牌《いはい》の前にたたずんだりして、いろいろな話をした。歴代の寺僧の大きな位牌のまんなかに、むずかしい顔をした本寺《ほんじ》中興《ちゅうこう》の僧の木像がすえてあった。それは恐ろしくむき出すような眼をしていた。和尚さんはその僧のことについて語った。本堂を再建《さいこん》したことや、その本堂が先代の時に焼けてしまったことや、この人の弟子に越前の永平寺《えいへいじ》へ行った人があったことなどを話した。メリンスの敷き物の上に鐘《かね》がのせられてあって、そのそばに、頭のはげた賓頭顱尊者《びんずるそんじゃ》があった。原は鐘をカンカンと鳴らしてみた。
 雑誌記者から読経《どきょう》をしいられるので、和尚さんは隙《すき》をみて庫裡のほうへ逃《に》げて行ってしまった。酔った二人は木魚と鐘とをやけにたたいて笑った。
 ドタドタとけたたましい音をさせて、やがて二人は廊下から庫裡へ行ってしまった。あとで、六畳にいる若い友だちは笑った。
「文学者なんていうものは存外のんきな無邪気なものだねえ」
 清三はこういうと、
「想像していたのとはまるで違うね」
 若い人々には、かねがねその名を聞いて想像していた文学者や雑誌記者がこうした子供らしい真似をしようとは思いもかけなかった。しかしこうしたことをする心持ちや生活は、かれらには十分にはわからぬながらもうらやましかった。
 東京の客は一夜泊まって、翌日の正午、降りしきる雨をついて乗合馬車で久喜《くき》に向かって立った。袴《はかま》をぬらして清三が学校から帰って来て、火種《ひだね》をもらおうと庫裡にはいってみると、主僧はさびしそうにぽつねんとひとり机にすわって書を見ていた。
 剖葦《よしきり》はしきりに鳴いた。梅雨《つゆ》の中にも、時々晴れた日があって、あざやかな碧《みどり》の空が鼠《ねずみ》色の雲のうちから見えることもある。美しい光線がみなぎるように裏の林にさしわたると、緑葉が蘇《よみが》えったように新しい色彩をあたりに見せる。芭蕉の広葉は風にふるえて、山門の壁のところには蜥蜴《とかげ》が日に光ってちょろちょろしている。前の棟割《むねわり》長屋では、垣から垣へ物干竿をつらねて、汚ない襤褸《ぼろ》をならべて干した。栗の花は多く地に落ちて、泥にまみれて、汚なく人に踏《ふ》まれている。蚊はもう夕暮れには軒に音を立てるほど集まって来て、夜は蚊遣《かや》り火の煙《けむり》が家々からなびいた。清三は一円五十銭で、一人寝の綿|蚊帳《がや》を買って来て、机をその中に入れて、ランプを台の上にのせて外に出して、その中で毎夜遅くまで書《ほん》を読んだ。自分のまわりには――日ごとによせられる友だちの手紙には、一つとして将来の学問の準備について言って来ないものはない。高等師範に志しているものは親友の郁治を始めとして、三四人
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