とうばら》で、長い路を歩いて来たので、少なからず飢《うえ》を覚えていたのである。
 その日の晩餐《ばんさん》は寺で調理してくれた。里芋と筍《たけのこ》の煮付け、汁には、たけたウドが入れられてあった。主僧は自分の分もここに持って来させて、ビールを二本|奢《おご》って、三人して団欒《だんらん》して食った。文学の話、人生問題の話、近所の話、小学校の話、主僧のお得意の禅の話も出た。庭に近く柱によった主僧の顔が白く夕暮れの空気に見えた。
 長い廊下に小僧が急ぎ足でこっちにやってくるのが見えたが、やがてはいって来て、一通の電報を主僧に渡した。
 急いで封を切って読み終わった主僧の顔色は変わった。
「大島孤月《おおしまこげつ》が死んだ!」
「孤月さんが――」
 二人もおどろきの目をみはった。
 大島孤月といえば、文学好きの人はたいてい知っていた。某書肆《ぼうしょし》の女婿《じょせい》で、創作家としてよりも書肆の支配人としての勢力の大きな人であった。昨年の秋|泰西漫遊《たいせいまんゆう》に出かけて、一月ほど前に帰朝した。送別会と歓迎会、その記事はいつも新聞紙上をにぎわした。雑誌にもいろいろなことが書いてあった。ここの主僧がまだ東京にいるころは、ことにこの人の世話になって、原稿を買ってもらったり、その家に置いてもらったりした。
「もう今日は行かれませんな」
「そう、馬車はありませんしな、車じゃたいへんですし……それに汽車に乗っても、あっちへ着いてから困るでしょう」
 主僧は考えて、
「明日《あした》にしましょうかな」
「明日でいいなら――明日朝の馬車で久喜《くき》まで行って、奥羽線《おううせん》の二番に乗るほうがいいですな」
「行田から吹上《ふきあげ》のほうが便利じゃないでしょうか」
「いや、久喜のほうが便利です」
 と荻生君は言った。
 主僧はそれと心を定めたらしく、やがて、「人間というものはいつ死ぬかわかりませんな」と慨嘆《がいたん》して、
「ちょっと病気で病院にはいってるということは聞きましたけれど、死ぬなどとは夢にも思わなかったですよ。先生など幸福ではあるし、得意でもあるし、これからますます自分の懐抱《かいほう》を実行していかれる身なんですから」こう言って、自分の田舎寺に隠れた心の動機を考えて、主僧は黯然《あんぜん》とした。
「世の中は蝸牛角上《かぎゅうかくじょう》の争闘――
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