家を出なければ授業時間に間に合わぬと知ってはいるが、どうも帰るのがいやで――親しい友人と物語る楽しみを捨ててろくろく話す人もないところに帰って行くのがいやで、われしらず時間を過ごしてしまった。
 夕飯《ゆうめし》を食ってから、湯に出かけたが、帰りにふたたび郁治を訪ねて、あきらかな夕暮れの野を散歩した。
 城址《しろあと》はちょっと見てはそれと思えぬくらい昔のさまを失っていた。牛乳屋の小さい牧場には牛が五六頭モーモーと声を立てて鳴いていて、それに接した青縞機業会社の細長い建物からは、機《はた》を織る音にまじって女工のうたう声がはっきり聞こえる。夕日は昔大手の門のあったというあたりから、年々田に埋め立てられて、里川《さとがわ》のように細くなった沼に画のようにあきらかに照りわたった。新たに芽を出した蘆荻《あし》や茅《かや》や蒲《がま》や、それにさびた水がいっぱいに満ちて、あるところは暗くあるところは明るかった。沼にかかった板橋を渡ると、細い田圃路《たんぼみち》がうねうねと野に通じて、車をひいて来る百姓の顔は夕日に赤くいろどられて見えた。
 麦畑と桑畠、その間を縫うようにして二人は歩いた。話は話と続いて容易につきようとしなかった。路はいつか士族屋敷のあたりに出た。
 家はところどころにあった。今日まで踏《ふ》みとどまっている士族は少なかった。昔は家から家へと続いたものであるが、今は晨《あした》の星のように畠と畠の間に一軒二軒と残っている。昔ふうの黒いシタミや白い壁や大きい栗の木や柿の木や井字形《せいじがた》の井戸側やまばらな生垣からは古い縁側《えんがわ》に低い廂《ひさし》、文人画を張った襖《ふすま》などもあきらかに見すかされた。夏の日などそこを通ると、垣に目の覚めるようなあかい薔薇《ばら》が咲いていることもあれば、新しい青簾《あおすだれ》が縁側にかけてあって、風鈴《ふうりん》が涼しげに鳴っていることもある。秋の霧の深い朝には、桔※[#「槹」の「白」に代えて「自」、69−12]《はねつるべ》のギイと鳴る音がして茘子《れいし》の黄いろいのが垣から口を開いている。琴の音などもおりおり聞こえた。
 この士族屋敷にはやはりもとの士族が世におくれて住んでいた。役場に出ているものもあれば、小学校の先生をしているものもある。財産があって無為《ぶい》に月日を送っているものもあれば、小規模の養
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