に卒業せられたのであります。日本の歴史の中で一番まじめな時、一番大事な時、こういう時に卒業せられたということは忘れてはなりません。皆さんは第二の日本国民として十分なる覚悟をしなければなりません」平凡なる郡長の言葉にも、時世《じせい》の言わせる一種の強味と憧憬《しょうけい》とがあらわれて、聴《き》く人の心を動かした。
 写生帳には瓶《びん》の梅花、水仙、学校の門、大越《おおごえ》の桜などがあった。沈丁花《じんちょうげ》の花はやや巧《たく》みにできたが、葉の陰影《かげ》にはいつも失敗した。それから緋縅蝶《ひおどしちょう》、紋白蝶《もんしろちょう》なども採集した。小畑が送ってくれた丘博士訳《おかはかせやく》の進化論講話が机の上に置かれて、その中ごろに菫《すみれ》の花が枝折《しお》りの代わりにはさまれてあった。菓子は好物のうぐいす餅、菜《さい》は独活《うど》にみつばにくわい、漬《つ》け物《もの》は京菜の新漬け。生徒は草餅や牡丹餅《ぼたもち》をよく持って来てくれた。
 利根川の土手にはさまざまの花があった。ある日清三は関さんと大越から発戸《ほっと》までの間を歩いた。清三は一々花の名を手帳につけた。――みつまた、たびらこ、じごくのかまのふた、ほとけのざ、すずめのえんどう、からすのえんどう、のみのふすま、すみれ、たちつぼすみれ、さんしきすみれ、げんげ、たんぽぽ、いぬがらし、こけりんどう、はこべ、あかじくはこべ、かきどうし、さぎごげ、ふき、なずな、ながばぐさ、しゃくなげ、つばき、こごめざくら、もも、ひぼけ、ひなぎく、へびいちご、おにたびらこ、ははこ、きつねのぼたん、そらまめ。

       四十七

 新たにつくった学校の花壇にもいろいろの草花が集められた。農家の垣には梨の花と八重桜、畠には豌豆《えんどう》と蚕豆《そらまめ》、麦笛《むぎぶえ》を鳴らす音が時々聞こえて、燕《つばめ》が街道を斜めに突《つ》っ切《き》るように飛びちがった。蟻《あり》、蜂、油虫、夜は名の知れぬ虫がしきりにズイズイと鳴き、蛙の声はわくようにした。
 あけび、ぐみ、さぎごけ、きんぽうげ、じゅうにひとえ、たけにぐさ、きじむしろ、なんてんはぎなどを野からとって来て花壇に移した。やがて山吹が散ると、芍薬《しゃくやく》、牡丹《ぼたん》、つつじなどが咲き始めた。
 この春をかれはまったく花に熱中して暮らした。新緑をとお
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