い》を受けてみたいんだが」
 と清三は言った。
 日曜日には馬車に乗って羽生に出かけた。旅順が陥落《かんらく》したという評判が盛んであった。まだそんなに早く取れるはずがないという人々もあった。街道を鈴を鳴らして走って行く号外売《ごうがいう》りもあった。荻生さんは、銀行の二階を借りて二人を迎えた。ご馳走にはいり鳥と鶏肉《けいにく》の汁《しる》と豚鍋《ぶたなべ》と鹿子餅《かのこもち》。
「今日はなんだか飯のほうが副食物のようだね」と清三は笑った。
 清三のいないところで、小畑は荻生さんに、
「林君、どうかしてますね、体《からだ》がどうもほんとうじゃないようですね?」
「僕もじつは心配してるんですがね」
「何か悪い病気じゃないだろうか」
「さア――」
「今のうちにすすめて根本から療治させるほうがいいですぜ。手おくれになってはしかたがないから」
「ほんとうですよ」
「持病の胃が悪いんだなんて言ってるけれど――ほんとうにそうかしらん」
「町の医師《いしゃ》は腸が悪いんだッて言うんですけれど」
「しっかりした医師に見せたほうがいいと思うね」
「ほんとうですよ」
 翌日の朝、銀行の二階で三人はわかれた。小畑は清三に言った。
「ほんとうに身体《からだ》をたいせつにしたまえ」

       四十六

 戦争はだんだん歩を進めて来た。定州《ていしゅう》の騎兵《きへい》の衝突《しょうとつ》、軍事公債応募者の好況、わが艦隊の浦塩《うらじお》攻撃、旅順|口外《こうがい》の激戦、臨時議会の開院、第二回閉塞運動、広瀬中佐の壮烈なる戦死、第一軍の出発につれて第二軍の編制、国民は今はまじめに戦争の意味と結果とを自覚し始めた。野はだんだん暖かくなって、菜の花が咲き、菫《すみれ》が咲き、蒲公英《たんぽぽ》が咲き、桃の花が咲き、桜が咲いた。号外の来るたびに、田舎町の軒には日章旗が立てられ、停車場には万歳が唱えられ、畠の中の藁屋《わらや》の付近からも、手製の小さい国旗を振って子供の戦争ごっこしているのが見えた。学校では学年末の日課採点に忙《せ》わしく、続いて簡易な試験が始まり、それがすむと、卒業証書|授与式《じゅよしき》が行なわれた。郡長は卓《テーブル》の前に立って、卒業生のために祝辞《しゅくじ》を述べたが、その中には軍国多事のことが縷々《るる》として説《と》かれた。「皆さんは記念とすべきこの明治三十七年
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