ょっと見ぬ間に非常に大人びた女生徒の田原ひでがにこにこと笑って立っていた。昨年の卒業生で、できのいいので評判であったが、卒業すると、すぐ浦和の師範学校に行った。高等二年生の時から清三が手がけて教えたので、ことにかれをなつかしがっている。高等四年のころに、新体詩などを作ったり和文を書いたりして清三に見せた。家《うち》はちょっとした農家で、散歩の折りに清三が寄ってみたこともあった。あまり可愛がるので、「林先生は田原さんばかり贔屓《ひいき》にしている」などと生徒から言われたこともあった。丸顔の色の白い田舎《いなか》にはめずらしいハイカラな子で、音楽が好きで、清三の教えた新体詩をオルガンに合わせてよく歌った。師範学校の寄宿舎からも、つねに自然の、運命の、熱情のと手紙をよこした。教え子の一人よりなつかしき先生へと書いて来たこともあった。時には、詩をくださいなどと言って来ることもあった。
「田原さん!」
 清三は立ち上がった。
「どうしたんです?」
 続いてたずねた。
「今日用事があって、家《うち》に参りましたから、ちょっとおうかがいしましたの」
 言葉から様子からこうも変わるものかと思うほど大人《おとな》びてハイカラになったのを清三は見た。
「先生、ご病気だって聞きましたから」
「誰に?」
「関先生に――」
「関さんにどこで会ったんです?」
「村の角《かど》でちょっと――」
「なアにたいしたことはないんですよ」と笑って、「例の胃腸です――あまり甘いものを食《く》い過ぎるものだから」
 ひで子は笑った。
 先生と生徒とは日曜日の午後の明るい室に相対してしばし語った。寄宿舎の話などが出た。今年卒業するはずの行田の美穂子の話も出た。いぜんとして昔の親しみは残っているが、女には娘になったへだてがどことなく出ているし、男には生徒としてよりも娘という感じがいつものへだてのない会話をさまたげた。机の上には半分ほど飲んだ水薬の瓶《びん》が夕日に明るく見えていた。清三は今朝友から送って来た「音楽の友」という雑誌をひろげてひで子に見せた。口絵には紀元二百年ごろの楽聖《がくせい》セント、セリシアの像が出ていた。オルガンの妙音から出た花と天使《エンジェル》の幻影とを楽聖はじっと見ている。清三はこの人はローマの貴族に生まれて、熱心なるエホバの信者で、オルガンの創造者であるということを話して聞かせた。美
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