ぞ》が上って来て、
「おいらんもな、おめでたいことで――この十五日に身ぬけができましたでな」
清三は金槌《かなづち》か何かでガンと頭を打たれたような気がした。
「貴郎《あなた》さんにもな、ぜひゆく前に一度お目にかかりたいッて言っていましたけれど――貴郎《あなた》はちょうどお見えにならんし、急なものだで、手紙を上げてる暇もなし、おいらんも残念がっていましたけれど、しかたがなしに、貴郎《あなた》が来たらよく言ってくれッてな――それにこれを渡してくれッておいて行きましたから」と風呂敷包みを渡した。中には一通の手紙と半紙に包んだ四角なものがはいっていた。手紙には金釘《かなくぎ》のような字で、おぼつかなく別れの紋切《もんき》り形《がた》の言葉が書いてあった。残念々々残念々々という字がいくつとなく眼にはいった。しかし身請《みう》けされて行ったところは書いてなかった。
半紙に包んだのは写真であった。
おばさんは手に取って、
「おいらんも罪なことをする人だよ」
と笑った。
身請けされて行った先は話さなかった。相方《あいかた》はかねて知っている静枝の妹女郎が来た。顔の丸い肥った女だッた。清三は黙って酒を飲んだ。黙ってその妹女郎と寝た。妹女郎は行った人の話をいろいろとして聞かした。清三は黙って聞いた。
翌日は早く帰途についた。存外心は平静であった。「どうせこうなる運命だッたんだ」とみずから口に出して言ってみた。「なんでもない、あたり前のことだ」と言ってみた。けれど平静であるだけそれだけかれは深い打撃を受けていた。
土手に上がる時、
「憎い奴だ、復讐をしてやらなけりゃならん、復讐! 複讐!」
と叫んだ。しかし心はそんなに激してはおらなかった。
麦倉《むぎくら》の茶店では、茶をのみながら、
「もうここに休むこともこれぎりだ」
大高島の渡しを渡って、いつものように間道《かんどう》を行こうとしたが、これも思い返して、
「なアに、もうわかったッてかまうもんか」
で、大越に出て、わざと老訓導の家を訪《と》うた。
老訓導は清三のつねに似ずきわだってはしゃいでいるのを不思議に思った。清三は出してくれたビールをグングンとあおって飲んだ。
「何か一つ大きなことでもしたいもんですなア――なんでもいいから、世の中をびっくりさせるようなことを」
こんなことを言った。そしてこれと同じこと
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