伊勢崎の豪商に根曳《ねび》きされる話がひやかし半分に書いてある。小滝には深谷の金持ちの息子《むすこ》で、今年大学に入学した情人《いいひと》があった。その男に小滝は並々ならぬ情《なさけ》を見せたが、その家には許婚《いいなずけ》のこれも東京の跡見女学校にはいっている娘があって、とうてい望みを達することができぬので、泣きの涙で、今度いよいよ落籍《ひか》されることになったと書いてある。その豪商は年は四十五六で、女房も子もある。「どうせ一二年辛い年貢《ねんぐ》を納めると、また舞いもどって二度のお勤め、今晩は――と例のあでやかな声が聞かれるだろうから、今からおなじみの方々はその時を待っているそうだ」などとひやかしてあった。ほんとうの事情は知らぬが、清三はそうした社会に生《お》い立《た》った女の身の上を思わぬわけにはいかなかった。思いのままにならぬ世の中に、さらに思いのままにならぬ境遇に身をおいて、うき草のように浮き沈みしていくその人々の身の上がしみじみと思いやられる。小滝のある間は――その美しい姿と艶なる声とのする間は、友人が離散し去っても、幼いころの追憶《おもいで》が薄くなっても、熊谷の町はまだかれのためになつかしい町、恋しい町、忘れがたい町であったが、今はそれさえ他郷の人となってしまった。神燈《じんとう》の影《かげ》艶《なまめ》かしい細い小路をいくら歩いても、にこにこといつも元気のいい顔を見せて、幼いころの同窓のよしみを忘れない「われらの小滝」を見ることはできなくなったのである。清三は三が日をすますと、母親のとめるのをふりはなって、今までにかつてないさびしい心を抱いて、西風の吹き荒れる三里の街道を弥勒《みろく》へと帰って来た。
それでも懐《ふところ》には中田に行くための金が三円残してあった。
三十六
三月のある寒い日であった。
渡良瀬川《わたらせがわ》の渡し場から中田に来る間の夕暮れの風はヒュウヒュウと肌《はだ》を刺《さ》すように寒く吹いた。灰色の雲は空をおおって、おりおり通る帆の影も暗かった。
灯のつくころ、中田に来て、いつもの通り階段《はしご》を上がったが、なじみでない新造《しんぞ》が来て、まじめな顔をして、二階の別の室《へや》に通した。いつも――客がいる時でも、行くとすぐ顔を見せた女がやって来ない。不思議にしていると、やがてなじみの新造《しん
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