がギーと楫《かじ》の音をさせて、いくつも通った。一時間ほどたって婆さんが裏に塵埃《ごみ》を捨てに行った時には、縁台の上の客は足をだらりと地に下げて、顔を仰向《あおむ》けに口を少しあいて、心地よさそうに寝ていたが、魚釣りに行った村の若者が※[#「竹かんむり/令」、第3水準1−89−59]※[#「竹かんむり/省」、第4水準2−83−57]《びく》を下げて帰る時には、足を二本とも縁台の上に曲げて、肱《ひじ》を枕にして高い鼾《いびき》をかいていた。その横顔を夕日が暑そうに照らした。額には汗がにじみ、はだけた胸からは財布が見えた。
かれが眼をさましたころは、もう五時を過ぎていた。水の色もやや夕暮れ近い影を帯びていた。清三は銀側の時計を出して見て、思いのほか長く寝込んだのにびっくりしたが、落ちかけていた財布をふと開けてみて銭の勘定をした。六円あった金が二円五十銭になっている。かれはちょっと考えるようなふうをしたが、その中から二十銭銀貨を一つ出して、ラムネ二本の代七銭と、梨子《なし》二個の代三銭との釣《つ》り銭《せん》を婆さんからもらって、白銅を一つ茶代に置いた。
大高島の渡しを渡るころには、もう日がよほど低かった。かれは大越の本道には出ずに、田の中の細い道をあちらにたどりこちらにたどりして、なるたけ人目にかからぬようにして弥勒《みろく》の学校に帰って来た。
かれの顔を見ると、小使が、
「荻生さんなア来さしゃったが、会ったんべいか」
「いや――」
「行田に行ったんなら、ぜひ羽生に寄るはずだがッて言って、不思議がっていさっしゃったが、帰りにも会わなかったかな」
「会わない――」
「待っていさッしゃったが、羽生で待ってるかもしんねえッて三時ごろ帰って行かしった……」
「そうか――羽生には寄らなかったもんだから」
こう言ってかれは羽織をぬいだ。
三十三
次の土曜日にも出かけた。その日も荻生さんはたずねて来たがやっぱり不在《るす》だった。行田の母親からも用事があるから来いとたびたび言って来る。けれど顔を見せぬので、父親は加須《かぞ》まで来たついでにわざわざ寄ってみた。べつだん変わったところもなかった。このごろは日課点の調べで忙しいと言った。先月は少し書籍《ほん》を買ったものだから送るものを送られなかったという申しわけをして、机の上にある書籍《ほん》を出して父親
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